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2018年6月 2日 (土)

5月27日 「転機」

さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。  (使徒9章1~9節)

 サウロ、後のパウロは、キリストに出会うまでは、伝統的な信仰を守ることに熱心でした(ガラテヤ1:13~14)。神の民としての出自を誇り、ファリサイ派の一員として律法を守ることにつとめていたのです(フィリピ3:5~6)。 
  ところが、キリストと出会ったことによって人生がまったく変えられてしまいます。教会を迫害していたのにキリストを宣べ伝える者となり、律法を守ることにつとめていたのに「律法ではなく信仰による救い」を主張し、異邦人からみずからを隔てるファリサイ派であったのに異邦人の使徒とされたのです。
 このように人生が180度変えられることは、それまでの人生が否定されることです。これまで正しいと信じてすべてを献げ、そのためには人を傷つけ損なうことさえいとわなかったことが間違いであったのです。人生の土台が崩れるような衝撃に、どれほど苦悩したでしょうか。「三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった(9節)」とは、何もかも見失った絶望の中、生きる意欲さえ失ったことを示しているでしょう。
 かつて日本の敗戦と共に、多くの人々がそのような苦悩を味わいました。作家の三浦綾子さんも、「日本は神の国」と信じ、教えてきたことが間違いであったことに絶望し、生きる意欲も失ったといいます。
 しかし、サウロの苦悩の「三日間」は、キリストの死から復活への道のりをも示しています。彼が見えなくなったのは、けっして暗闇に落ち込んだからではなく、「天からの光(3節)」に囲まれたからでした。サウロの苦悩の三日間は、神からの光によって新しい命を生きるようになるまでの過程でした。
 人生の転機に臨み、苦悩に沈むときがあります。しかしそれは神の光に照らされた時なのかもしれません。やがて周囲の人々の助け、教会の交わりが与えられ、新しい命に導かれるのです。

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