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2018年6月 9日 (土)

6月3日「キリストの名によって」創立記念日礼拝

 次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。
 「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
 議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。                (使徒4章5~14節)

 名前には力があります。それを「権威」と言います。
 逮捕されたペトロとヨハネは、なんの権威、だれの名によって、歩けなかった人を癒したのかと尋問されました。考えられないようなことが起きたのは、いったい何の力によるのか、追求されたのです。
 ペトロは、「あなたがたはナザレの人イエスを殺したが、神は彼を復活させた。ことを成し遂げたのはこのイエス・キリストだ」と堂々と主張します。つい先日のイエスの逮捕の際には逃げ隠れしていたペトロのこの姿勢に、指導者たちは驚きます。そして「彼らはイエスと一緒にいた」と気付きました。ガリラヤからエルサレムへ、そしてもしかしたら、癒しが行われたときも、イエスと一緒だったのではなかったか、と。
 教会は、そういうところです。ただの人であっても、聖霊が注がれ、イエスと一緒にいて、イエス・キリストの名、その力がことを成していくのです。
 今日は北部教会の創立記念日です。1976年の伝道所開設から10年で土地取得・会堂建築をはたし、50名の教会へと驚くような成長をとげました。しかし、10周年の記念誌には、この間の牧師・信徒の不安や迷いが率直に記されています。それと共に、主が祈りにこたえてことを成し遂げてくださると確信できた幸いも証されています。キリストの名によってことが成し遂げられていったことを、この教会の歩みが証しているのです。
 ところで、キリストの名によるわざを証したのは、ペトロとヨハネだけではありませんでした。足を癒された人は、自分では何もしたわけではありません。しかし、思いもよらずに癒され、それを喜び感謝し、二人についていっていたのです。その存在自体が証として用いられました(14節)。わたしたちも、いただいた恵みをせいいっぱいに喜び賛美しつつ歩みましょう。

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