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2018年7月

2018年7月29日 (日)

北部日記 7月29日

☆先週、礼拝についての懇談会を行って、「こどもの礼拝出席の減少」「礼拝に来られなくなった」「牧師のいない礼拝」といった課題について話し合いました。根本的な解決とはいかなくても、「こどもがいなくても祝福を祈る」「来られない人に礼拝のようすを伝える」「牧師がいなくても祝祷はできる」など、具体的な対応を相談しました。まずは牧師不在の礼拝での祝祷から試みていくことになりました。
☆月曜日、宋富子(ソン・プジャ)さんの講演会が行われました。ご自身のルーツや生い立ち、そのなかでの差別をこうむった悲痛な体験を率直に語り、イエス・キリストと出会って救われたあと、日本の社会に平和を創るための働きを訴えられました。エネルギッシュに1時間半語りとおした後も、出席者との懇談でもたくさんお話しされました。明るくほがらかな話しぶりの中に、日本人の差別意識、この社会の差別のしくみを厳しくきっぱりと指摘されました。聞いた私たちのこれからが問われます。
☆火曜日、太平こどもの家に小樽のおもちゃ屋さんの「キンダーリープ」さんに来てもらい、親子で実際におもちゃで遊びながらお話を聞きました。「キャラクターのおもちゃは、食べ物に例えれば『おやつ』。時々ならうれしいけれど、こどもの成長に必要な『主食』にはならない」と、シンプルで奥深いおもちゃの数々を紹介してくださいました。その場でお店を広げて販売も。思わずいくつか買ってしまいました。
☆今年のCSキャンプは小学生20人で美唄教会を訪れます。「あそびがいっぱい、VIVA!美唄」のテーマで、たっぷり遊ぶ予定です。

7月22日  「共働者たち」

その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。 (使徒18章1~4節)

 使徒パウロは、テント作り職人でした。道具袋ひとつをかついで町から町へ移っていき、行く先々で仕事をして生活費・旅費を工面していました。
 コリントの町で、同じテント職人で、おそらく工房を構える親方のアキラと出会い、意気投合しました。ユダヤ人のキリスト者であったアキラと妻プリスキラの家は、コリントでの福音宣教の最初の拠点となりました。
 やがてコリントで教会が形作られ、パウロがコリントを離れるとき、アキラ夫妻も工房をたたんで同行する大きな決断をします。この決断は、もしかしたら妻プリスキラが促したのかもしれません。彼らはアジア州の大都会エフェソに定住することになります。
 24節以下には、エフェソで彼らがアポロという伝道者を教育し、コリントに送り出したことが記されます。その後、パウロも再びエフェソの彼らの家に滞在したようです。コリント一16:19には、彼らの家が教会の集会に提供されていたことが記されています。
 パウロはローマ16:3~6にも彼らのことを記しています。「キリスト・イエスに結ばれて・・・協力者(3節)」とあるのは、直訳すると「キリスト・イエスの中の共働者」という意味です。キリスト・イエスの中、つまりキリストの体である教会で共に働く同労者としているのです。
 プリスキラとアキラは使徒ではありませんが、教会を支え、伝道者を教育し、その働きを共に担う、だいじな「共働者」でした。じつは、パウロがその手紙の中で「共働者」とよんでいる人は数多くいます。そういう人々が教会を形作り、育て、教会の歩みを担ったのです。
 今も教会を担う多くの「共働者」たちがいます。人生を差し出してキリストの福音を担う共働者たちを、キリストは喜び、いたわってくださることでしょう。

2018年7月22日 (日)

北部日記 7月22日

☆西日本の豪雨被害のさまざまな側面が報じられています。猛暑の影響も心配されています。教団の教会関係の被害も少なくないようですが、まだ全体がまとめられてはいません。今後の情報を待っているところです。ボランティアや物資支援など直接の支援活動を担うには、北海道はいささか遠いところです。むしろ、これから中長期にわたる支援のための息の長い募金が求められるところでしょう。覚えて備えていきたいと思います。
☆太平子どもの家は夏休みに入りました。先日の新聞に「2歳児をもつ親の2割は、日常の話し相手がいない」という記事が載っていました。とくに低収入の家庭ほど孤立しがちだとの分析もありました。外に出て行く余裕もなく、親たちの集まりでも持ち物や食事の内容を他と比較されるのをきらうためだというのです。太平子どもの家は、親たちが孤立しないで安心して集える場所であるように願い、その活動を40年続けてきました。これからも地域の家庭のために祈り続けましょう。
☆21~22日、札幌地区の合同CSキャンプが行われています。穂別キャンプ場に出かけ、テントをはっての本格的キャンプです。札幌の諸教会でもCSのこどもたちが少なくなり、スタッフも高齢化して、各教会単独でのキャンプが困難になってきました。それで、数年前から諸教会合同でのキャンプを行うようにしたところ、数十名のこどもたちが喜んで集まるようになりました。日曜日にはキャンプ場で礼拝を献げます。友だちと献げる楽しい礼拝の思い出を抱えて帰っていくこどもたちが、再会を楽しみにしながら、それぞれの教会での日々を元気に過ごしていくよう願っています。

2018年7月21日 (土)

7月15日 「彼女たちの戦い」

わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。
                          (使徒16章11~15節)

 パウロたちは、ユダヤ人が安息日に集まる「祈りの場所」を探して川岸に赴きました。ふつう、「祈りの場所」としては会堂が建てられるのですが、フィリピの市中にはユダヤの会堂がなかったのでしょうか。
 ここでパウロたちはリディアという女性に出会います。男社会の中、女の身で商売をいとなむには、ひと一倍苦労してきたことでしょう。彼女は「神をうやまう」人でした。これは、ユダヤの神を信じ求める異邦人、「求道者」のことです。彼女は、異邦人でありながら聖書の神に出会い、求めるようになっていました。しかし、夫のない異邦人女性には、ユダヤの会堂にも居場所がなかったのかもしれません。彼女にとって、「ユダヤ人も異邦人もない、女も男もない」と、すべての人を救いへ招くキリストの福音がどんなにうれしかったことでしょう。彼女は自分の家を福音の拠点として提供します。ここに、フィリピで、ひいてはヨーロッパ大陸で最初の教会が形作られたのです。
 フィリピでパウロたちはもうひとりの女性に出会います。「占いの霊」にとりつかれていた女奴隷です(16~18節)。彼女は、「占いの霊」だけではなく、彼女を金儲けに利用する主人たちの欲望や、奴隷の重荷を負わせる社会のありかたにもまたしばりつけられていました。彼女のしつこいほどの叫びは、彼女自身の救いを求める叫びにも聞こえます。イエス・キリストの名によって「占いの霊」から解放されたあと、彼女もリディアの家の集まりにつながったでしょうか。
 後に、パウロはフィリピの教会に書き送った手紙のなかで、「あなたがたはわたしと同じ戦いを戦っている」と励まします(フィリピ1:27~30)。リディアたちの顔やできごとを思い浮かべながら記したことばに違いありません。今の社会に生きるたくさんのリディアたち、女奴隷たちをも、キリストは、励まし、導き、支えてくれるでしょう。

2018年7月15日 (日)

北部日記 7月15日

 大阪北部での地震の怖れも消えない中、西日本一帯が豪雨の被害を受けました。まだ被災状況が完全には明らかになっておらず、地盤がゆるんだ地域で、あるいは猛暑の中で、さらなる被害も心配されています。
 日本基督教団の各教区からも被害状況が報告されてきています。会堂が浸水・漏水したり、信徒が被害にあったり、教会に通じる道路がふさがったりと、やはりまだ全容は明らかになっていませんが、教団としても対応が始まっています。できる支援を考えていきましょう。
 西日本が豪雨に襲われているさなか、東京では自民党の議員たちが首相ら幹部と共に懇親会を楽しんでいたことが明らかになり、批判をあびています。危機感と責任感の希薄さは、厳しくとがめられるべきでしょう。しかし、政治家個々人の資質だけでなく、これには構造的な問題があるように思います。
この日、西での悪天候とはうらはらに、東京では穏やかな天気だったそうです。東京に暮らす政治家たちは、自分たちが見ている光景が日本のすべてだと思い込んでいたのではないでしょうか。多くの国会議員が、「地元」の選挙区は地方でも、実際には東京で育った二世議員です。実は東京しか見えていないのでしょう。
 作家の小檜山博さんが、「今の日本には二つの国がある。東京と、それ以外だ。そして東京がそれ以外を支配している」と語っています。首都圏への一極集中は、支配と被支配の格差の現れでもあります。かえりみて、教会のありかたはどうでしょうか。

2018年7月 8日 (日)

北部日記 7月8日

 他国・他民族を蔑視・侮辱・攻撃する「ヘイト・スピーチ」が横行しています。街頭でのデモやインターネット上の書き込みばかりか、書店にいくとそういう内容の書物が目立つところに平積みされています。差別と偏見がいっこうになくならないどころか、かえって凶暴化しているようです。
 こうしたヘイトスピーチや民族差別が、在日コリアン(韓国・朝鮮)の人々に執拗にむけられています。歴史的経緯があって日本で住むようになり、今では日本社会の欠かせない構成員であるはずなのに、厳しい差別にさらされつづけています。
 在日大韓基督教会は、差別とたたかい人々の権利を守るとりくみをずっと続けてきました。その指導者として尊敬を集めてきたのが故・李仁夏(イ・インハ)牧師でした。李仁夏牧師は、深く強い信仰に基づいて、川﨑教会とその保育園で、多様な人々がそれぞれの文化を尊重しあって共に生きることを教えました。その働きは、やがて川崎市の行政にも影響を与えていきました。
 李仁夏牧師に出会い、信仰とまた差別に抗する生き方を教えられたひとりが宋富子(ソン・プジャ)さんです。生きる苦しみを抱えていた平凡な母親が、信仰によって力強く生きるようになり、「差別をなくし平和をつくる」ために各地でひとり芝居を演じてまわりました。今は「高麗博物館」の名誉館長、文化センター・アリランの副理事長としてその働きを担っています。
 7月23日(月)、北部教会で宋富子さんの講演会が行われます。深い信仰と、平和への願いを力強く語ってくださいます。

2018年7月 7日 (土)

7月1日 「福音の拠点」

アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
(使徒13章1~3節)

 
 キリスト教の歩みのなかで、使徒パウロは大きな役割を果たしました。異邦人伝道に携わって多くの教会を建て、また指導し続けただけでなく、その書き残した手紙は聖書として後世に決定的な影響を及ぼしました。使徒言行録13章以下に、そのパウロの活躍が記されていきます。
 しかし、パウロの働きはけっして彼ひとりのものではありませんでした。パウロは、アンティオキア教会から派遣されて旅に赴きました。しかも、少なくともバルナバというパートナーとのチームによる働きでした。旅の終わりにはアンティオキア教会に戻り、そこでその働きについて報告しました(14:26~27)。パウロの働きは、教会が送り出し、祈り、支え、報告を待ち、そして教会の仲間と共にたずさわった働きだったのです。教会こそが福音宣教の拠点でした。
 では、パウロを送り出したアンティオキア教会はどんな教会だったでしょう。国際的な大都市アンティオキアに教会ができたいきさつが使徒言行録11章に記されています。ここで初めてユダヤ人と異邦人が共に加わる教会が作られました。これまでになかったこの集団が、初めて「キリスト者」とよばれるようになったのです(11:26)。13章1節に挙げられたアンティオキア教会のリーダーたちは、立場も出自も経歴も多様な人々であったと考えられます。このような群れが「福音の拠点」とされたのです。
 かつて、札幌農学校で生徒たちに福音を教えたクラーク博士は、「ここにアンティオキア教会を作る」と語ったそうです。全国から集まった若者たちによる新しい群れが福音の拠点として用いられ、やがては各地に福音を伝えていく働きを期待したことでしょう。わたしたちの教会もまた、「福音の拠点」とされていくことを願い望みましょう。

2018年7月 1日 (日)

北部日記 7月1日

 先週は野外礼拝でした。昨年まで3年続けて雨で中止となってしまっていましたから、毎日天気予報をチェックしていましたが、これまた毎日のように予報が二転三転、はらはらしながら日曜を迎えました。
 当日は明るいひざしの朝となり、よろこんで百合が原公園へ。4年ぶりの野外礼拝を行いました。ところが、みるみるうちに、冷たい風、黒い雲・・・。礼拝が終わった後、みんなで急いで教会に戻り、そこでお弁当を広げました。それはそれでゆっくり楽しいひとときでした。
 この日の午後、道北の名寄教会まで片道210キロ以上の道をとばして日向恭司牧師就任式へ。ところが開始30分前になっても会場はがらがら。そこへ大型バスが到着。なんと、旭川の諸教会でバスをチャーターし、数十名が乗りあわせてやって来たのです。礼拝堂はたちまちいっぱい。途中、トイレ休憩でたちよった道の駅では、「皆さん、買い物してると間に合いませんから!」と、幹事役はたいへんだったとか。
 名寄は道北の拠点の町です。教会にも広い範囲から通ってくる信徒がいます。かつて、音威子府から高校生の女の子が名寄教会の礼拝に通ってきていたそうです。片道1時間以上、交通費も往復で二千円以上かかります。高校生にはたいへんだろうと声をかけると、「神さまにささげる献金のつもりですから」と答えたそうです。
 道北の地の広大さ厳しさゆえの困難があります。しかし、それだからこその信仰の深さと連帯の強さ、そして教会生活の喜び楽しみもあるのです。札幌のわたしたちも、そこにつながっていければと願います。

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