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2018年7月29日 (日)

7月22日  「共働者たち」

その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。 (使徒18章1~4節)

 使徒パウロは、テント作り職人でした。道具袋ひとつをかついで町から町へ移っていき、行く先々で仕事をして生活費・旅費を工面していました。
 コリントの町で、同じテント職人で、おそらく工房を構える親方のアキラと出会い、意気投合しました。ユダヤ人のキリスト者であったアキラと妻プリスキラの家は、コリントでの福音宣教の最初の拠点となりました。
 やがてコリントで教会が形作られ、パウロがコリントを離れるとき、アキラ夫妻も工房をたたんで同行する大きな決断をします。この決断は、もしかしたら妻プリスキラが促したのかもしれません。彼らはアジア州の大都会エフェソに定住することになります。
 24節以下には、エフェソで彼らがアポロという伝道者を教育し、コリントに送り出したことが記されます。その後、パウロも再びエフェソの彼らの家に滞在したようです。コリント一16:19には、彼らの家が教会の集会に提供されていたことが記されています。
 パウロはローマ16:3~6にも彼らのことを記しています。「キリスト・イエスに結ばれて・・・協力者(3節)」とあるのは、直訳すると「キリスト・イエスの中の共働者」という意味です。キリスト・イエスの中、つまりキリストの体である教会で共に働く同労者としているのです。
 プリスキラとアキラは使徒ではありませんが、教会を支え、伝道者を教育し、その働きを共に担う、だいじな「共働者」でした。じつは、パウロがその手紙の中で「共働者」とよんでいる人は数多くいます。そういう人々が教会を形作り、育て、教会の歩みを担ったのです。
 今も教会を担う多くの「共働者」たちがいます。人生を差し出してキリストの福音を担う共働者たちを、キリストは喜び、いたわってくださることでしょう。

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