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2018年8月26日 (日)

8月19日 「生命は彼の中に」

週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。(使徒20章7~12節)

 青年エウティコは、一日働いて疲れた体で、それでもパウロの話を聞く最後の機会と思って集会に来たのかもしれません。たくさんのともしびで部屋は暑く空気も悪くなったので、風に当たってすっきりしようと窓辺に腰かけたのでしょうか。それでも眠気に勝てず、落ちてしまったのです。大騒ぎになりましたが、息を吹き返し、一同はほっとしたのでした。
 このとき、パウロがエウティコの上にかがみこんだ(10節)のは、人工呼吸のような措置をしたのだと推測する人もいます。いっぽう、このパウロのふるまいは、列王記に記された、預言者エリヤやエリシャが死んだこどもをよみがえらせたときのふるまいを思わせます。使徒言行録の著者ルカは、パウロが偉大な預言者たちに匹敵する存在だと示しているようです。
 それだけではありません。この事件が起こったトロアスの町は、かつてパウロが失意と挫折のはてにたどりついた所でした。しかし、ここで幻を示され、実り多い新しい道へと導かれたのです(16:6以下)。今、パウロは、このトロアスに戻ってきて、そこからエルサレムへ、さらにローマへと向かおうとしています(19:21)。しかし、この後パウロはエルサレムで捕えられ、囚人として護送されることになります。計画は挫折し、パウロの命も危うくされます。それでも、それでおしまいとはなりませんでした。
 「まだ生きている」(10節)とは、直訳すると「生命が彼の中にある」という意味です。彼の命だけでなく、キリストの命が彼をなお生かすのです。エウティコだけでなく、パウロもまたそうやって生かされることになります。さらには、教会もまた、キリストの生命がその中にあるのです。困難や弾圧に衰退し挫折するように見えても、なお生かされるのです。
 息を吹き返したエウティコの姿に、私たちも大いに慰められます。

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