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2018年10月

2018年10月28日 (日)

北部日記 10月28日

◎ 榎本栄次牧師ご夫妻をお迎えして、太平こどもの家40周年をお祝いしました。あらかじめ参加を申し込んでいただくようにしなかったので当日まではらはらしていましたが、ふたを開けてみると、おとなとこどもあわせてほぼ100名、それも、ずっと昔の関係者から、いま参加している親子まで、いろんな世代の人たちが顔を見せてくれました。榎本牧師は、太平こどもの家の開設時の思いを語ってくださいました。「サークルしののめ」さんの人形劇をこどももおとなも楽しみ、豪華な「軽食」をいただきながら、藤田斎さん作成のスライドを見て、ゆたかな時を過ごしました。
◎ 榎本牧師を迎えての礼拝、「オープンチャーチ」として伝道委員会でいっしょうけんめい準備を進めてきました。榎本先生にお会いしてそのメッセージを聞きたいと、多くの方が出席されました。礼拝後の「ほくぶカフェ」での懇談の時間、榎本牧師との問答は心に響くものでしたね。あっという間に時間がすぎました。
◎ 日曜の午後、月寒教会70周年の祝会にかけつけました。生まれてから4歳頃まで通った「母なる教会」です。展示されていた昔の週報に「そらち誕生感謝献金」の記載が。まだ20代だった両親の思いに触れました。
◎ 火曜日から日本基督教団総会が開催され、波乱の展開の結果、副議長に選出されてしまいました。思いもよらなかったことゆえ、いまなお驚きと戸惑いをひきずっています。あいさつを求められ、とっさに「こんなことになるとは思わず送り出してくださった札幌北部教会と北海教区のためにお祈りください」と述べました。どうかこの不安と重荷を共にしていただけますよう、切にお願いいたします。

2018年10月21日 (日)

北部日記 10月21日

 先週、町内会の「サロン」が教会で行われ、社会福祉協議会の方が来て地域づくりのためのゲームをリードしてくれました。たくさんのカードの一枚一枚に、『電球の交換』『除雪』『緊急時のこどもの預かり』『買い物のつきそい』『食事の介助』『洗濯』など、生活のなかで助けてほしい事がらが書いてあります。参加者はそれぞれ自分にとって必要な(と、なるかもしれない)ことがらのカードを何枚か選びます。そして、それを1枚ずつ紹介し、ほかの参加者からそれを手伝ってくれる人を探すのです。わいわいと声をかけあって、楽しく「助けあい」を試みました。
 参加しながら、自分にできることはなんだろうか、と考えていたのですが、『冠婚葬祭のアドバイス』を求める人から「久世さん、よろしく」と声をかけられました。ほかにも『役所に出す書類のアドバイス』『子育ての相談』などでも、「これは久世さんだね」と、まわりの人が。また、ある人が『話し相手』のカードを出すと、別の人が「久世さんが聞いてくれるわよ。いつも教会か、奥の部屋にいるし」。
 こうしてみると、地域の人たちにとって教会の牧師は「よろず相談」のあてにされているようです。といっても、実際には町内会の役員さんなどとの打ち合わせ以外に、とびこみで相談がもちこまれることはほとんどありません。それでも、なんとなく「何かの時」の頼りとみられているのだとしたら、ありがたいことです。
 『男はつらいよ』の柴又帝釈天の「御前様」のように、お寺や神社は地域を見守りなんとなく頼られる存在ですね。この地域にとって、北部教会やその牧師が、そんな存在になれたらと思います。

2018年10月15日 (月)

北部日記 10月14日

 毎年10月、北海教区の「教職講座」が行われます。3泊4日にわたる、牧師たちの研修会です。途中、レクリエーションのプログラムもまじえながら、さまざまな内容の研修の時間が組まれています。
 今年はとくに「キリスト教主義学校と教会のかかわり」をとりあげ、とわの森三愛高校と野幌教会、北星学園余市高校と余市教会から、学校の宗教主任と教会の牧師の報告を聞きました。今の高校生たちの抱える課題と、彼らにとって教会がどういう場所なのか、考えさせられました。
 そのほかに、精神科の医師から「ひとの悩みを聞く悩み」について学んだり、「天皇の代替わり」「差別と人権」「東日本大震災支援」といった社会の課題、仲間の牧師の牧会の経験を聞いたり、アイヌ民族の青年からアイヌ文化を学ぶ思いを聞いたりしました。
 今回はまた、大倉一郎牧師の「自分史」を聞きました。これまでのさまざまな困難の体験を語る中で、「苦しかった時、榎本栄次牧師が手を差し伸べ、札幌に残した母の晩年を札幌北部教会の皆さんが支えてくれた」とお礼をのべてくださいました。
 研修内容は担当者がそれぞれ独自に準備するのですが、はからずも、隣人と共にある「居場所」の大切さがくりかえし語られ、教会が「居場所」となるように促されました。
 このように数日かけて同労の牧師たちといっしょにすごす「教職講座」そのものもまた、そうした「居場所」であることに気づかされました。共に学び、語り合い、寝食を共にする中で、励まされ慰められリフレッシュして、それぞれが遣わされている教会にむかう帰途につきました。
 

10月7日 「救いのために」 世界聖餐日

夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。(使徒27章33~38節)

 囚人パウロを護送する船は暴風に行く手をはばまれます。漂流して14日目の夜中、船員たちは、浅瀬にぶつかるのを避けるため錨を下ろして夜明けを待ちます。人々は、暗闇の中、命の不安と恐怖にさらされていました。
 ようやく空が白んで手元が見えるようになってきたころ、パウロが「なにか食べてください」とよびかけ、一同の見守る中、パンをとり、感謝の祈りをささげてそれを裂き、食べ始めたのです。
これは、聖餐の際のしぐさです。パウロは自分の信仰に基づいてパンを食したのでしょう。もちろん、見ている一同のほとんどは、それが何を意味するのか、知りません。危機の中にも関わらず、囚人パウロが、落ち着き払ってパンをとり、彼の神に祈り、食べるのを、不思議な思いで見ていたでしょう。食事ものどを通らない恐怖と疲労を抱えていた一同は、それを見てなぜかほっと元気づけられ、それぞれに食べ始め、危機を乗り切って皆が助かりました。
 パウロは、一同に、「生き延びるために必要だから」(34節)と言って食事を勧めました。これは「救いのために必要」「ここに救いがある」とも訳せます。危機の中、信仰者がおちついて聖餐に養われることが、船に乗り合わせた一同を導き促し、みんなの救いとなったのです。
 世界聖餐日は、世界中の諸教会が、分裂や対立をのりこえて共に主の食卓につき、平和と一致を信じ祈るように定められました。今日の世界は、あたかも嵐のなかの船のように、暴風にさらされ、ただよい、これからどうなるのか、不安と恐怖にさらされています。この分裂と対立を抱えた世界で、教会が真実に主のパンを分かち合い、平和と一致の姿を示すのならば、それは世界を促し導き、救いをもたらすのではないでしょうか。嵐の夜が明けることを信じ、いまこの時、この世界で、パンを食しましょう。 

2018年10月 7日 (日)

北部日記 10月7日

☆先週は「太平子どもの家40周年記念バザー」が大々的に行われました。太平こどもの家の関係者がいつも以上に力をいれて準備してくださり、卒園児や家族もおおぜい顔を見せてくれました。外のテントの屋台は大忙しで、あっという間に売り切れ続出。収益は当日集計分だけで10万円を超え、近年にない成果となりました。20日には、いよいよ榎本栄次牧師ご夫妻をお迎えしての40周年のお祝いの会を行います。こちらも大いににぎわうことを期待しています。
☆1月14~15日の北海教区年頭修養会の準備が進められ、プログラムの計画がだんだん整ってきました。今回は、「共に生きる ~つどう・わけあう・かえられる~」をテーマに、北海教区や各教会に与えられている賜物や恵みを持ち寄る形で行います。複数の部屋でそれぞれプログラムが行われ、その中から自分の関心ある部屋を自由に選んで参加します。諸教会のバザーも大々的に呼びかけ、それぞれの教会の賜物と課題を覚えます。2日目には、それぞれ体験したプログラムをグループでわかちあう時間ももちます。会場のガトー・キングダムにいちばん近い北部教会ですから、ぜひおおぜいで参加しましょう。
☆胆振東部地震から1か月がたちましたが、先週にはまた、やや大きな余震が起きました。東日本大震災の後も2~3年は余震が続いたと聞きました。私たちも、これからもなお長期にわたる影響に備えなければなりません。北海教区では「胆振東部地震支援委員会」を設置して長期的な支援活動に取り組むこととしました。支援献金も集まっています。どうぞお覚えください。

2018年10月 6日 (土)

9月30日「私のように」

パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。
「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」
パウロは言った。「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
アグリッパはパウロに言った。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」
パウロは言った。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」       (使徒26章24~29節)

 パウロは、新任のローマ総督フェストゥスと、ユダヤの一部を支配していたアグリッパ王の前で、自分の信仰について語る機会を与えられました。
 主イエスと出会って、主の証人としての使命を与えられたことを語り、自分が証してきたのはメシアが苦難を受けて復活し、ユダヤ人にも異邦人にも救いをもたらすということであり、これこそ旧約聖書に書かれたことの実現だ、と締めくくります(22~23節)。
 パウロは、「すべての方が私のようになることを祈る」と言い切ります(29節)。伝道の強い思いが込められたことばです。私たちは、そのように強い思いをもって福音を宣べ伝えることでしょうか。
 この、「私のように」とは、具体的にはどういうことでしょう。
 なによりまず、「私のようにキリストに出会ってほしい」 という願いがあるでしょう。パウロがまったく思いもよらず主イエスに出会ったように、私たちも主イエスとの出会いをそれぞれに与えられてきました。そして、親しい人、大切な人、まわりの人々もまた、私のように、主イエス・キリストとの出会いが与えられるようにと祈るのです。
 そしてその出会いの中で、パウロは主の証人としての使命を与えられました。生涯の歩みを通して主イエス・キリストがどういう方であるかを示す使命は、私たちにも与えられています。
 主を証しするのは、私たち自身の生き方です。私たちも、パウロと同じように、神の約束の実現を希望として抱いています(6~7節)。キリストの十字架と復活によって、世界の民に光として告げられた救いを希望としているのです。希望をもって生きる私たちの生き方が、主を証しします。誰もが、この希望をもって生きるものとなるように、私たちも神に祈るのです。 

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