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2018年11月

2018年11月25日 (日)

北部日記 11月25日

 このところ、なにかにつけて「平成最後の」ととなえられます。来年には天皇の退位と新天皇の即位が予定されています。日本の社会も、そしてわたしたち教会も、30年ぶりの「天皇の代替わり」に直面することになります。
 『キリスト者への問い あなたは天皇をだれと言うか』(松谷好明著)という本を読みました。牧師である著者は、天皇の本質は宮中祭祀、つまり神道に基づく儀式を日々行う祭司であることを指摘して、天皇制がキリスト教信仰とあいいれないものであることを強調しています。それなのに日本のキリスト教会がそのことをはっきり認識してこなかった歴史をもきびしくふりかえっています。
  先週23日、靖国神社問題北海道キリスト教連絡会議の集会で、佐藤幹雄牧師が「天皇代替わりと『国民主権』」と題して講演を行い、天皇をめぐる現状が憲法に定められた「国民主権」の原則を侵していると指摘しました。国家は国民のもの、という憲法の規定にもかかわらず、代替わりの一連の儀式を通して日本は天皇の国であるように演出されることが危惧されます。
 また会議では具体的な課題として、「新天皇の即位と改元が予定される5月1日は臨時休日とされるが、キリスト教学校や幼稚園が対応に戸惑っている」ことが挙げられました。関連し、「天皇や元号についての考え方を示す」「元号を使わないことを徹底する」「天皇制の問題を教会にアピールする」といった提起がなされました。さらに、新たな提案として、「望ましい国の形をじっくりと考え、わたしたちの『新憲法案』の作成に取り組んでみてはどうか」という意見もありました。時代の波に流されず神の真理に拠って立つべきだいじな局面にさしかかっていることを示された思いです。

2018年11月24日 (土)

11月18日 「家族のきずな」

このような事があって後、長たちがわたしのもとに来て、言った。「イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません。カナン人、ヘト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人と同様に行うその住民の忌まわしい行いに従って、彼らは、自分のためにも息子たちのためにもこの地の住民の娘を嫁にし、聖なる種族はこの地の住民と混じり合うようになりました。しかも、長たる者、官職にある者がこの悪事にまず手を染めたのです。」わたしはこのことを聞いて、衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、ぼう然として座り込んだ。 (エズラ9章1~3節)
 
 家族が家族としてむすびあう、そのきずなは何でしょう。心の結びつき、愛でしょうか。しかし、心がうつろい、愛が薄れ、壊れてしまうこともあります。それでも家族の形が生活のため、あるいは世間体のために保たれることもあるでしょう。答は単純に割り切れるものではありません。
 聖書に、家族が問われる場面があります。バビロン捕囚から帰還した民には、現地の異民族の娘をめとって家庭を築いた人が少なくありませんでした。指導者エズラはそれを許しがたいこととして、離縁を命じたのです。
 帰還してきたイスラエルの人々は、ありていにいって貧しい移民にほかなりません。生活基盤を得るため、現地の女性の実家を頼ったのが実態でしょう。生活習慣も文化も言語も現地の人々にあわせて暮らし、このままだと次の世代にはイスラエル民族は消滅してしまいかねません。他民族と縁を切ることが、民族を守るための究極の手段だったのです。
 とはいえ、夫たちは、それをよしとしたのでしょうか。それまで営んできた家族のきずなとは何だったのでしょう。
 何があっても、誰から何と言われても、家族がばらばらにならないような確かなきずながあるでしょうか。
 私の父は、戦後の混乱期、家族がばらばらになる体験をしました。自分が家庭を築くとき、何があっても壊れない家族のきずなの確かな支えを求めてキリスト教の洗礼を受けました。また、妹はインドネシア人の男性と結婚しています。彼はイスラム教の家庭出身でしたが、結婚に際しキリスト教を受け入れ、家族もやがて理解してくれました。
信仰によるきずなもあれば、民族や宗教をのりこえるきずなもあります。人と人を結ぶ確かなきずなを求めるとき、どんな答を見出すでしょうか。 

2018年11月18日 (日)

北部日記 11月18日

◆現会堂が完成して、来月で10年となります。建築に際し、せいいっぱいの献金がささげられましたが、なお不足する資金については教会債をお願いし、また北海教区開拓伝道資金から1000万円を借り入れました。これらは10年かけて返済する計画でした。
 今月、教区からの借入金の全額を計画通り返済し終えました。返済のために10年の長きにわたって会堂献金を献げてきた方々、また誠実に資金管理につとめてくださった方々に心から感謝し、主のねぎらいをお祈りいたします。
 けれども、教会債の返済はまだ完了していません。予定外だった教会墓地資金からの借入金も返済しなければなりません。いっぽう、会堂をこれからも長く使っていくためには、メンテナンスが必要です。駐車場敷地を購入する願いもあります。なお覚えて会堂献金をお献げください。
◆先月、太平こどもの家の40周年をお祝いしました。思いきって榎本牧師ご夫妻をお招きする計画を立て、そのための献金をお願いしました。先週、運営委員会で会計の報告をまとめたのですが、予想をはるかに超えて献金・お祝金がささげられ、支出も抑えられて、無事にやりくりができました。多くの思いと協力がよせられたことに改めて感謝します。
◆このページの上部に週報の通しナンバーが記されています。教会創立時の第1号から40年以上たってすでに2200号を超えています。ところが、先月、ナンバーを打ち間違えてしまっていました。今号から修正していますが、週報のバックナンバーを保存している方は、申し訳ありませんが訂正をお願いします。

2018年11月11日 (日)

北部日記 11月11日

 このところ、礼拝へのこどもたちの出席が少なくなってきています。毎週の礼拝司会をつとめてくれるこどもも限られてきて、ときにはこどもの司会がいない日もあります。
 けれども、教会につながるこどもたちがいないわけではありません。太平こどもの家に通ってくるこどもたちや、その後も行事のおりに参加してくるこどもたちがいます。CSの夏期キャンプや、お泊り会、ジンギスカンといった行事には、スタッフの手が足りないくらいのこどもたちがやってきます。そうやって集まるこどもたち自身が、次の行事を楽しみにしている声も聞きます。それならば、毎週の礼拝にも来てほしいと思うのです。
 それは、ただ教会の人数を増やしたいというだけではありません。こどもたち自身にとって、教会と出会い、その交わりを楽しみ、キリストの恵みを味わうことが、きっとその人生の歩みを助け、守り、導くことになると思うのです。家庭でも学校でも塾でもなく、年齢も生活も職業も考えもさまざまな人たちがいっしょに集まりすごす場に自分もまた受け入れられる、という体験は、この時代を生きていくときの得難い支えとなるでしょう。
 それで、こどもたちに教会の礼拝と出会ってもらうため、「こども祝福礼拝」を設定しました。もちろん、こどもの祝福は毎週の礼拝で行っていますが、特別な日を設定して出席をよびかけることで、足を運ぶきっかけにしてもらおうと願っています。礼拝のプログラムそのものはいつもと変わりありませんが、こども祝福のときを充実させ、礼拝の前後にお楽しみを用意します。こどもたちだけでなく、家族も来てくだされば、なおうれしいことです。わたしたちの喜びである教会の交わりを、新しく分かちあえたらと願います。
  

2018年11月10日 (土)

こども祝福礼拝

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11月4日 「たてなおす」

預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが、ユダとエルサレムにいるユダの人々に向かってその保護者であるイスラエルの神の名によって預言したので、シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。そのときには、ユーフラテス西方の総督タテナイとシェタル・ボゼナイ、およびその仲間たちが彼らのもとに来て言った。「この神殿を建て、その飾りつけを完成せよ、と誰がお前たちに命令したのか。」そこでまた彼らに、「この建物を建てている人々の名前は何というのか」と尋ねた。 しかし、神の目がユダの長老たちの上に注がれていたので、彼らは建築を妨げることができず、その報告がダレイオスになされ、それに対する王の返書が送られてくるのを待った。(エズラ5章1~5節)
  
 旧約聖書の内容は、大きく歴史・文学・預言の三部に分けられます。歴史の部では、天地創造から神の民イスラエルの形成、王国の成立と滅亡を述べていきます。そして、エズラ記・ネヘミヤ記で、バビロン捕囚からの解放と再建のいきさつが述べられます。
 バビロンを滅ぼしたペルシア王キュロスは、捕囚の民に帰還を許しました。喜び勇んで故国に帰ってきた人々が見出したのは、厳しい現実でした。エルサレムの町は破壊され、神殿は失われ、故郷には貧しい民や異民族が暮らしていました。
 帰還した民の指導者ゼルバベルと祭司イエシュアは、民を励まして神殿の再建にとりかかりました。しかし、まもなく工事は中断してしまいます。外部からの妨害もありましたが、民自身が生活に追われ、神殿の再建どころではなくなってしまったのです。
 しかしそこに神の力が働き始めます。預言者ハガイとゼカリヤが現れてゼルバベルを励まし、工事の再開を促しました。またペルシアの総督が事をとがめますが、経緯が確認された結果、政府が建設費を支出することとなりました。こうして神殿の再建が成し遂げられたのです。
 神の民のたてなおしは、まず神殿から、つまり礼拝と信仰の回復からでした。妨げの大きさや生活の厳しさから、民自身は挫折したとしても、神のみわざがたてなおしてくださったのです。この神は、今、わたしたちの教会や、あるいはそれぞれの信仰のたてなおしをも成し遂げてくださるでしょう。
 神は、ただかつての町や神殿を再建されただけではありませんでした。そこにやがて新しい王、キリストが来られるのです(ゼカリヤ9:9)。やがて来られるキリストによって、神の民が真実にたてなおされることになるのです。

2018年11月 4日 (日)

北部日記 11月4日

 1月14~15日に行われる教区年頭修養会は、札幌地区の地区の担当です。実行委員会を組織し、「共に生きる つどう・わけあう・かえられる」とテーマを定め、いよいよ準備もおおづめです。
 今回は、中心となる講演やステージがあるわけではありません。高校の文化祭や大学祭のように、諸教会のいとなみや教区の諸活動をもちよって紹介し、参加者はそれを次々に自分で選んで経験していきます。
 開会礼拝は、遠隔地からの到着をまって午後2時45分からとなりますが、その前からもう催しは始まります。「つどう広場」として、各教会のバザーが行われますが、それだけでなく、教会の資料を展示したり、ステージで活動を紹介したりして、教区のすべての教会を紹介する予定です。また、他教区や諸団体も紹介できるようよびかけています。 
 開会礼拝のあと、「わけあう実り」として、3つの部屋で、教区にかかわる活動の紹介・報告・体験が次々になされます。「テゼの礼拝体験」「札青協キャラバン報告」「災害と教会」「センターってどんなとこ」「沖縄の声」「アイヌの踊りにチャレンジ」など、ぜんぶで9つのプログラムを準備しています。部屋ごとに開催時間が少しずつずらしますので、部屋を渡り歩けばたくさんのプログラムをつまみぐいすることもできます。また、「こどもプログラム」「託児」も別に用意しています。
 二日目には、「かえられるとき」として、小グループに分かれ、一日目にそれぞれが体験したプログラムについて発見や感想をわかちあい、課題や希望を語り合います。すでに与えられている多くの恵みに促され、共に生きる道への一歩を踏み出すことになればと思うのです。
  

2018年11月 3日 (土)

10月28日「恵みの中にありながら」 収穫感謝日礼拝

今この時
わたしたちの神よ 偉大にして力強く畏るべき神よ 忠実に契約を守られる神よ
アッシリアの王の時代から今日に至るまで、わたしたちが被った苦難のすべてを
王も高官も祭司も預言者もわたしたちの先祖も、あなたの民の皆が被ったその苦難のすべてを
取るに足らないことと見なさないでください。
このすべては起こるべくして起こったのです。
あなたは正しく行動されました。あなたは忠実に行動されました。
しかし、わたしたちはあなたに背いてしまいました。
王も高官も、祭司もわたしたちの先祖も 
あなたの律法に従わず 度重なる命令にも戒めにも耳を貸しませんでした。
あなたがお与えになった国と豊かな恵みの中にありながら
あなたがお与えになった広く肥沃な土地にありながら
彼らはあなたに仕えようとはせず、不正と悪行を改めようとはしませんでした。
御覧ください、今日わたしたちは奴隷にされています。
先祖に与えられたこの土地
その実りと恵みを楽しむように与えられたこの土地にあって
御覧ください、わたしたちは奴隷にされています。
この土地の豊かな産物も、あなたがわたしたちの罪のためにお立てになった諸国の王のものとなり
わたしたち自身も、家畜も、この支配者たちの意のままにあしらわれているのです。
わたしたちは大いなる苦境の中にあるのです。
                           (ネヘミヤ9:32~37)

 今年、北海道は災害や天候不順で、けっして作物の出来がよいとは言えません。それでもなお、多くの恵みが与えられました。それに対して、人の世の出来はどうだったでしょうか。
 聖書には、神の民イスラエルの歩みについての痛切な反省のことばがのべられています。イスラエルの民が滅亡と破壊を経て、再建と再出発に臨んだ時の悔い改めのことばです。
 神の恵みによってエジプトを脱出し、神と契約を結んだイスラエルは、神に導かれた土地で繁栄を築きます。しかし、やがて国は滅ぼされ、民はバビロンに捕囚とされてしまいます。捕囚の苦悩の中、彼らは自らの歴史を振り返り、神のみこころを懸命に尋ね求め、信仰を深めていきます。
 バビロンが滅び、故郷への帰還を許された民は、エルサレムの城壁と神殿を再建します。そして信仰に基づく共同体の再建に向けて、民が集められて律法が朗読されました(8:1~3)。その後、民は自分たちの歩みを深く悔い改めます(9:1以下)。苦難からの再出発にあたって、歴史の中の神の恵みを数え上げ、「恵みの中にありながら、それにふさわしく歩んでこなかった」と痛切に告白したのです。
 日本基督教団は、50年前「戦争責任告白」を公表し、神に従わず戦争に協力した教会の過ちを告白しました。日本社会そのものも、戦後、それまでの歴史に対する痛切な反省から、再出発・再建の歩みを踏み出したはずです。それをないがしろにしてはならないのです。
 今年、またじゅうぶんに豊かな恵みがあたえられました。しかし、私たちは、この恵みにふさわしく歩んできたでしょうか。今、与えられた神の恵みの中をどう歩んでいくのか、問われています。

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