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2018年12月29日 (土)

12月23日「ほんとうの光」クリスマス礼拝

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。(ヨハネ1章1~9節)
 
 御子キリストの到来を、ヨハネ福音書は「光は暗闇の中で輝いている」「その光はまことの光で、世に来てすべての人を照らす」と表現します。どんな光を思いうかべるでしょうか。
 札幌出身の藤原牧子牧師が、60年以上前のクリスマスの思い出を「馬そりで廻ったキャロリング」というエッセーに記しています。クリスマスイブの真夜中に、若者たちは馬そりに乗ってキャロリングに出発します。夜は深く静まり返り、はるかかなたまで雪景色が続いています。信徒の家を讃美歌を歌いに回っているうちに、朝となり、朝の光が雪景色を曙色に染めていきます。太陽の光に照らされるとき、あたりの景色が全く違って輝きだすのです。
 教会では、古くは25日のクリスマスの前の晩から集まって、朝を待ちながら一晩中礼拝を献げていました。やがて朝日がのぼり、圧倒的な光に包まれてあたりが一変して輝く中、クリスマスの喜びの礼拝をささげたのです。
 ヨハネ福音書は、あたりを一変させるキリストを「ほんとうの光」と表現します。そしてそれは、「言のうち」にある命であると述べています。
 かつて、フィリピンの神学校を訪れたことがあります。当時、支配者たちが民衆を暴力的に支配し、貧しい人たちが命をも脅かされる状況でした。貧しい神学生たちは、卒業すると、聖書一冊と授業を書き留めたノートだけを携えて人々のもとに牧師として赴任し、命の危険の中で聖書を共に読んで、生きる希望を見出そうとしていました。聖書の言の内に、死の恐れをも乗り越えさせる命があるのです。それこそがほんとうの光です。
 このほんとうの光、キリストは、私たちに生きる希望と力を与え、日々をも一変させて命を輝かせます。この光を、わたしたちの内に迎えましょう。

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