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2018年12月

2018年12月30日 (日)

北部日記 12月30日

 先週は、クリスマスの礼拝をささげました。初めての方、久しぶりの方もいて、うれしい集いでした。
  礼拝後の祝会では、北部らしいゆたかな食卓を囲んで、楽しいプログラムが続きました。
  Ⅱ子さんの「漫談」では、みんなで「そだねー」との合いの手が促されました。流行語となった「そだねー」ですが、考えてみれば、意味は「アーメン」と同じですね。「教団の責任を担う牧師を北部教会のみんなで支えよう」「そだねー」のやりとりに、心がじんとなりました。
 その後、東京での常議員会に、副議長として初めて出席してきたのですが、緊張の中、ふと祝会でのみんなの「そだねー」の声を思い出して励まされ、なんとかつとめを果たしました。あの「そだねー」が、すてきなクリスマスプレゼントだったのです。
 さて、クリスマスの諸集会を終えた水曜日、葬儀に出席のため滋賀県に向かいました。かつて教団の議長を10年にわたってつとめられた後宮俊夫牧師が亡くなられ、教団として感謝と哀悼の意を表するため、現三役を代表して参列することとなったのです。
 後宮俊夫牧師は、後宮敬爾牧師のお父様で、また榎本栄次牧師の義兄にあたります。葬儀では小西二巳夫牧師が「思い出」として敬和学園でのお働きについて語られました。会場では、K家さんの娘婿にあたるK崎さんに案内していただきました。悲しみの席ではありましたが、深く大切なつながりをあらためて覚えるときでした。

2018年12月29日 (土)

12月23日「ほんとうの光」クリスマス礼拝

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。(ヨハネ1章1~9節)
 
 御子キリストの到来を、ヨハネ福音書は「光は暗闇の中で輝いている」「その光はまことの光で、世に来てすべての人を照らす」と表現します。どんな光を思いうかべるでしょうか。
 札幌出身の藤原牧子牧師が、60年以上前のクリスマスの思い出を「馬そりで廻ったキャロリング」というエッセーに記しています。クリスマスイブの真夜中に、若者たちは馬そりに乗ってキャロリングに出発します。夜は深く静まり返り、はるかかなたまで雪景色が続いています。信徒の家を讃美歌を歌いに回っているうちに、朝となり、朝の光が雪景色を曙色に染めていきます。太陽の光に照らされるとき、あたりの景色が全く違って輝きだすのです。
 教会では、古くは25日のクリスマスの前の晩から集まって、朝を待ちながら一晩中礼拝を献げていました。やがて朝日がのぼり、圧倒的な光に包まれてあたりが一変して輝く中、クリスマスの喜びの礼拝をささげたのです。
 ヨハネ福音書は、あたりを一変させるキリストを「ほんとうの光」と表現します。そしてそれは、「言のうち」にある命であると述べています。
 かつて、フィリピンの神学校を訪れたことがあります。当時、支配者たちが民衆を暴力的に支配し、貧しい人たちが命をも脅かされる状況でした。貧しい神学生たちは、卒業すると、聖書一冊と授業を書き留めたノートだけを携えて人々のもとに牧師として赴任し、命の危険の中で聖書を共に読んで、生きる希望を見出そうとしていました。聖書の言の内に、死の恐れをも乗り越えさせる命があるのです。それこそがほんとうの光です。
 このほんとうの光、キリストは、私たちに生きる希望と力を与え、日々をも一変させて命を輝かせます。この光を、わたしたちの内に迎えましょう。

2018年12月22日 (土)

12月16日 「席を譲る」

彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」         ()ヨハネ3章26~30節)

 洗礼者ヨハネは、一時もっとも人々を引き付けた宗教家でした。けれども新たに主イエスが現れると、ヨハネは自分は「先に遣わされた者」だと重ねて表明するのです。
 「前に遣わされた者」とは、要人が訪れる前にあらかじめ遣わされて、準備を促す「先ぶれ」のことです。ほんとうに迎えるべき重要な方のために、必要な準備を整えさせるのです。洗礼者ヨハネは、主イエスに先立って、人々の心を神に向けさせ、悔い改めを促し、洗礼を授けました。それが人々が主イエスの働きを受け入れる備えとなったのです。
 ヨハネはまた、先ぶれとしての自分の役割と心境を、結婚式の介添え人になぞらえます。当時、結婚式にあたっては、花婿の信頼する友人が婚姻を仕切りました。縁談をととのえ、婚宴の手配をし、当日は花嫁の家に先に到着して準備をし、また花嫁を守ります。いよいよ花婿が到着すると、その声を確かめて家に迎え入れます。それからいよいよ宴となりますが、その時には介添え人の役割はもう終わっています。ヨハネは、自分の役割はそういうものだというのです。
 ほんとうの主役が現れるとき、自分は喜んでわきにしりぞく、そういうときがあるのではないでしょうか。
 そのことをヨハネは、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」と言います。直訳すると、「あの方は必ず伸びていき、わたしは小さくならねばならない」となります。キリストがますます伸びていくとき、喜んでわたしは小さいものとなっていくのです。
 キリストを迎えるとは、キリストに自分の席を譲ることです。私の思い、私の願い、私自身は小さくされ、かわってキリストの支配、力が、伸び、広がっていくことを、喜びましょう。

2018年12月16日 (日)

北部日記 12月16日

今月、日本聖書協会から、『聖書』の新しい日本語訳「聖書協会共同訳」が出版されました。「新共同訳」の次の訳にあたります。
 聖書は、およそ30年ごとに新しい翻訳が出されてきました。1887年に旧新約聖書が出版され(明治元訳)、1917年に新約聖書だけが改訂されました(大正改訳)。通常「文語訳」と言われるのがこれです。戦争をはさんで1955年に「口語訳」が出されて普及しましたが、1987年に「新共同訳」が出版され、現在ひろく用いられています。なお、日本聖書協会とは別に日本聖書刊行会から「新改訳」(1973年)」が出されていますが、これも昨年あたらしく「新改訳2017」が出されました。
 さて、手元に届いた「聖書協会共同訳」をぱらぱら見てみました。「新共同訳」が出たときは、それまでの「口語訳」とはがらっと変わった印象だったのですが、今回はそれほど大きく変わった印象はありません。それでも細かい文言は、最新の研究成果に基づいたり、30年間の日本語の変化に対応したりして、いろいろと変わっているようです。
 「脚注」が充実しているのも特徴です。関連する聖句だけでなく、「別訳」「直訳」「異本」「原語」などが示され、ひとつの翻訳におさまらない聖書のことばの深みや広がりが示されています。
 教会で用いる聖書を今すぐ変えるわけではありません。でも、折に触れ、「新しい翻訳では、こう訳しています」と紹介することになるでしょう。
昔から、聖書は幼子キリストを寝かせた飼葉桶にもなぞらえられてきました。大切なのは聖書じたいではなく、そのことばの中に宿っておられるキリストです。幼子を探して、飼葉桶をたずねましょう。

2018年12月11日 (火)

クリスマスのご案内

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2018年12月 9日 (日)

北部日記 12月9日

 今日の礼拝説教は、大倉一郎牧師です。これまで何度も礼拝に出席いただいたことがありますが、礼拝説教をお願いするのは初めてでしょうか。ご奉仕を感謝いたします。
 大倉先生のお名前は、もうずいぶん前から耳にしていました。直接の面識はありませんでしたが、川崎戸手伝道所や溝の口教会の牧師として、また農村伝道神学校やフェリス女学院大学の教師として、とくに社会の周縁に追いやられた人々の立場に共に立ってキリストの福音を考えるきっぱりとした姿勢について、いろいろな機会に教えられてきました。
この札幌北部教会に赴任した後、大倉先生のお母様がこの教会で晩年をすごされたことをうかがって驚きました。9月の召天者記念礼拝に出席された大倉先生と初めてお目にかかった時は、著名な大先輩の前で、緊張を覚えずにはいられませんでした。
 しばらく前から、ご家族の介護のために札幌に戻っておいででしたが、この秋、北海教区の教職講座に参加して、そのプログラムの中で、「自分史」を語ってくださいました。学校の教師から聖公会の牧師となり、さらに日本キリスト教団に移るに至った、困難と苦悩の経験の数々は、今の穏やかな笑顔とは容易には結びつかないほど厳しく重いものでした。
 これまで長く道外で働いておられましたので、北海教区の状況にくわしいわけではありません。それだけに、北海教区の諸教会の歩みや宣教の取り組みについて、新鮮な視点で受けとめ、よろこんでくださっています。これからも北部教会のみならず、北海教区にかかわって、助け支えていただければと心強く思っています。

2018年12月 8日 (土)

12月2日 「力の源」

民は皆、水の門の前にある広場に集まって一人の人のようになった。彼らは書記官エズラに主がイスラエルに授けられたモーセの律法の書を持って来るように求めた。祭司エズラは律法を会衆の前に持って来た。そこには、男も女も、聞いて理解することのできる年齢に達した者は皆いた。第七の月の一日のことであった。彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた。(ネヘミヤ8章1~3節)
 
 バビロン捕囚から解放されて帰ってきたユダの民は、困難と妨害を乗り越えてようやく神殿を再建し、エルサレムの城壁を修復しました。しかし、かつてのような独立の回復は不可能です。彼らは、モーセの律法に基づく宗教共同体として、歴史を歩んでいくこととなります。ネヘミヤ記8章は、そのような共同体としての新たな出発となる、重要な場面です。
 広場に集まった人々に、エズラが律法を読み聞かせ、レビ人たちが解説しました。律法は単なる宗教上の掟ではありません。かつてエジプトで奴隷としてばらばらだった人々が、神と契約を結び、信仰によってひとつにまとまり、神のみこころに基づく共同体、神の民を形作っていくための定めです。神のみこころに従う神の民、共同体を形作ることが律法の目的なのです。
 その律法を再び示されて、民は泣きました(8節)。かつて、この律法に基づいて神の民が形作られるはずだったのに、自分たちはその歩みを誤って、神のみこころにそむき続け、ついに国は滅ぼされ、捕囚の苦しみと再建の労苦を負うに至ってしまったのです。その罪と、失ったものの大きさを思い、後悔と嘆きの涙を流したのでしょう。
 しかし、ネヘミヤやエズラは、「今日は主に献げられた聖なる日」とよびかけ、喜び祝うよう促します(9~10節)。自分たちの罪にまさる神のみわざに心を向け、このような罪深い我々と、それでも共にいてくださる神の愛とあわれみを感謝し喜び祝うことが、神の民として新しく歩みだす「力の源」となるのです。
 それからはるか後、神は御子を送り、新しい神の民の形成を導きました。御子を迎えるクリスマスを、主に献げられた日として喜び祝いましょう。それが、新しい神の民、教会の歩みの「力の源」となるでしょう。
 
 
  
 

2018年12月 2日 (日)

北部日記 12月2日

 9月6日、未明の地震のあと、停電の一日を不安と不便のなかで過ごしました。夕方になっても電気は通じず、やがて日が沈みました。あの暗い夜を、どんなふうに迎えていたことでしょうか。
 夕食時、わが家では、冷蔵庫の中から、できるだけ調理しないでいいもの、早くいたみそうなものを出してきてテーブルにならべました。懐中電灯の電池には限りがありますが、商売がら(?)キャンドルならたくさんあります。キャンドルをともすと、オードブル程度の食事でもなんだかおしゃれな雰囲気に(ボトルに半分残っていたワインもついで)。まっくらな夜にも、心もおなかもほっとすることができました。
 食事が終わってもすることがないので、ふと外に出てみると、空はよく晴れていて、あかりがすっかり消えた街の上に、満天の星。ふだんは見えない天の川までが見えました。地上の暗さとひきかえに、星の光がなんとも心強く、美しく輝いてみえました。
 あれからもう3か月、クリスマスも近づいています。ふと、キャンドルといい、夜空の星といい、クリスマスの定番であったことを思い出しました。主イエス・キリストの到来は光にたとえられ、光の象徴としてキャンドルや星が用いられます。暗く不安な夜の暗闇のなかで、わずかな光がどんなに心強く、平安と希望を与えてくれるものか、たしかに実感したのでした。
 ところで、あの夜、ご近所のあちこちの庭先でジンギスカンをしているのを見かけました。さすが北海道民、電気がなくても冷蔵庫の肉がいたむ前にどんどん炭火で焼いて食べてしまえ、というたくましさ。「ほふられた子羊」に導かれ・・・!?

2018年12月 1日 (土)

11月25日 「ユダの人々の王」

サンバラト、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他わたしたちの敵は、わたしが城壁を再建し、崩れた所が一つとして残らず、あとは城門に扉を付けるだけだということを耳にした。サンバラトとゲシェムはわたしのもとに使者をよこして、「オノの谷にあるケフィリムで会おう」と言った。彼らはわたしに危害を加えようとたくらんだのであった。そこでわたしは使者を送って言わせた。「わたしは大きな工事をしているので、行けません。中断して出かけたのでは、どうして工事が終わるでしょうか。」彼らは同じことを四度も言ってきたが、わたしも同じように返事を繰り返した。五度目にサンバラトは、配下の者を同じ言葉をもってわたしのもとによこしたが、その手には開封の手紙があった。そこには、こう書かれていた。「あなたとユダの人々は反逆を企てていると、諸国のうわさにもなっているし、ガシュムも言っている。城壁を建てているのはそのためであろう。あなたはユダの人々の王になろうとしているということだ。また、あなたはあなたのことを宣言する預言者をエルサレムに立てて、ユダの王だと言わせているそうだ。今このうわさは、王のもとに届こうとしている。早速相談しようではないか。」そこでわたしは返事を送った。「あなたの言うことは事実に反する。あなたの勝手な作り事だ。」
彼らは皆、わたしたちの手が弱り、工事は完成しないだろうと言って、わたしたちに恐怖を与えている。神よ、今こそわたしの手を強くしてください。         (ネヘミヤ6章1~9節) 

 バビロンからエルサレムに帰還した民は、ようやく神殿を再建しましたが、エルサレムの城壁はバビロンによって破壊されたままでした。城壁が損なわれていては、安心して住むことはできません。
 神の民が安心して集い暮らす場所として、教会の会堂を整えるのは大切なことです。教会がある町そのものが損なわれることもあります。災害で被災した町の復興に携わり、社会変動で崩されていく地域社会を守ることも、教会の課題、使命です。
 エルサレムの再建にあたったのがネヘミヤです。しかし、城壁再建の事業は、ホロニ人サンバラト、アンモン人トビヤ、アラブ人ゲシェムといった敵対者たちに妨害されます。彼らは既得権が奪われると警戒したのでしょうか、実力行使をはかったり、ネヘミヤ自身に危害を加えようと企てたりします。さらに「『ネヘミヤが反逆してユダの人々の王となろうとしている』と、ペルシア王に告発するぞ」と脅します。深刻なのは、ユダの指導者の中にも彼らに通じている者たちが少なくないことでした。ネヘミヤはこうした外敵や内通者に脅かされながらも、民を守る町の再建をなしとげました。
 ネヘミヤから数百年後、やはり「ユダヤ人の王になろうとしている」と告発され、身近な者たちに裏切られ、捕らえられて処刑された人物がいます。しかし、この方こそは、ほんとうに従うべき方、王であったのです。この方が生まれたときには、東の方、かつてのペルシアから「ユダヤ人の王として生まれた方はどこに」と学者たちが訪ねてきたことが伝えられています。
 ネヘミヤは、はるか後に真実の王が来られる場所を整えたのです。私たちも、いつか真実の王、キリストが来られると信じ、私たちの住まう町を、地域を、守り整える働きに仕えるのです。 

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