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2019年1月12日 (土)

1月6日「召使は知っていた」

 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。(ヨハネ2章1~11節) 

 今日は、教会の暦では「公現日」です。公現日に読まれる聖書箇所のひとつが「カナでの婚礼」の場面です。
 ガリラヤのカナで婚礼がありました。主イエスの母マリアにゆかりの家だったようです。その婚礼でぶどう酒が足りなくなるという失態がありましたが、主イエスが水をぶどう酒に変えたというのです。このできごとの意味を、召使の立場から考えてみましょう。
 召使たちは婚礼の裏方です。ぶどう酒が足りないと、まっさきに気づいたのは彼らだったでしょう。急いでマリアに相談すると、主イエスのことばを待ってそれに従うようにと、待機を命じられました。やがて主イエスが来られ、水がめに水を満たすようにと指示します。水を井戸から汲んできて6つの大きな水がめに満たすのはけっして軽い仕事ではありません。足りないのはぶどう酒なのに、こんなことをして何の意味があるか、と疑ったでしょう。しかし、それを世話役のところにもっていくとよいぶどう酒に変わっていました。それが主のみわざであることは、召使たちだけが知ることでした。
 婚礼は神の国を現します。神に招かれて神との永遠の絆に結ばれ、喜びと幸いがもたらされるはずだったのに、旧来の信仰のありかたではそれが満たされず、主イエス・キリストによってはじめてそれが完成されるのです。
 召使たちは、その主のみわざの奉仕者です。このままでは満たされないと気づき、主を待ち望み、そしてそのみことばに従って、徒労とも思えるわざを担うのです。しかし、その重くつらい働きは、主によって祝福へと変えられます。召使たち、奉仕者である教会は、そのことを知ることになるのです。新しい年、主に従い、そのみわざに携わっていきましょう。

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