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2019年2月 2日 (土)

1月27日 「キリストの証」 


「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。  (ヨハネ5章31~36節) 

 今日は「新発寒教会の宣教の取り組みに学ぶ」として一日修養会を行います。昨年秋の札幌地区大会で地区内の4つの教会から、それぞれの活動について聞きました。いずれも教会員20~30名の小規模教会ですが、困難や不足にもかかわらず意欲をもって教会の使命と課題を担っていることに励まされました。とくに新発寒教会は、2年前に新会堂を建築して以来、次々にユニークな取り組みを元気に進めています。
教会にとって主イエス・キリストを宣べ伝えるのは根本の使命ですが、時代や地域、個々の教会の賜物や条件によって具体的な方法や形はさまざまですが、今、この地でわたしたちが何をなすべきか考えましょう。
 さて、ヨハネ福音書では、キリストを宣べ伝えることを「証しする」と表現します。「証しする」とは、もともと法廷で人やことがらについて証言することです。とくに、その人物が何者であるか証明し、あるいは信用を保証する意味もあります。今日の箇所も、主イエスが何者であるか、信用できるかどうかをめぐってのことばです。
 主イエスは、ご自身について証明するのは神ご自身であり、人からの保証は不要だ、ときっぱり言います。ところがいっぽう、「ヨハネの証」つまり人間の証も、「あなたたちが救われるために」用いるというのです。
「証しする マルチュレオー」という語が英語の「martyr 殉教者」の語源です。「証しする」とは、ことばで述べることにとどまらず、命をかけて、つまり、自分の生き方、あり方を通してなされることです。わたしたち一人ひとり、そして、教会が、どのように生きているかが「証」です。
もとより、主イエスを証しするのは本来的には神ご自身です。それでも主はわたしたちのつたない証をも用いてくださるでしょう。
 

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