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2019年3月16日 (土)

3月10日 「主よ、来て、ご覧ください」 東日本大震災記念礼拝

マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
               (ヨハネ11章32~37節)

 主イエスの親しい友ラザロが死んでしまいました。葬り終わった後にようやく現れた主イエスに対し、ラザロの姉妹マルタとマリアは口々に「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」(21節、32節)と訴えます。助けてくれると信じた主イエスへの期待がむなしく終わった悲嘆と苦悩のことばは、主イエスの心に刺さったに違いありません。主が「憤りを覚え、興奮して」(33節)とは、意味がとりにくい語ですが、「息を荒げ、心ふるわせる」という、感情をあらわにされる主の姿をいうのでしょう。
 人々は、「主よ、来て、ご覧ください」と、村から離れた墓へのさびしい道を案内します。死の厳しい現実を、あなたが来てくださらなかったばっかりにもたらされた痛ましい現実を、しっかり見てください、という人々の思いに、涙を流し、悲しみの感情を隠さない主イエスです。
 東日本大震災で、多くの命が失われました。「主よ、あなたがいたのなら、こんなことにはならなかったでしょうに」という悲嘆と苦悩を、主は受け止めてくださるでしょうか。被災地の現実は今なお厳しいままです。「主よ、来て、ご覧ください」とも声をあげずにいられません。
 ラザロの墓に来た主イエスは、墓の入り口の石を取り除けるよう命じました(39節)。人々の暮らす世界と、横たわるラザロとを隔てる大きな重い石が除かれたとき、主は「ラザロ、出てきなさい」と呼びかけラザロは新しく生きる者となったのでした。
 震災から8年たとうとしています。さまざまな支援活動が終わり、被災地の人々と遠ざかっていってしまうのでしょうか。しかし、主に促されて、なお隔てをとりのぞくようつとめるとき、主は、新しい命、新しく生きる力をもたらしてくださるのかもしれません。

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