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2019年3月30日 (土)

3月24日 「道、真理、命」

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」(ヨハネ14章1~7節)

 主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われました。このことばについて考えてみましょう。
 「道」は、単なる通り道ではありません。古代の国家は領域の支配のために道路網を整備しました。高度な技術と強大な権力で建設された道路は、地方の人々にとってははるかかなたの都から自分たちのところにまで伸びてきた、都の延長線であり、この道に立つことは、見たこともない遠くの都に立つこととつながっていたのです。
主イエスは、はるかかなたの父なる神に通じる道であり、それは神ご自身の延長線としてわたしたちのところにまで来てくださった神そのものです。わたしたちは、主イエス・キリストに触れ、出会い、導かれるとき、神ご自身と出会い、ふれあい、導かれるのです。
「真理」を辞書でひくと「ほんとうのこと」とありました。「ほんとうのこと」ではいないこと、「ほんとうではないこと」がはびこり、力をふるうことがあります。戦争中、「ほんとうではないこと」のために人生を曲げられ、損なわれた多くの人々が、戦後、生きるよりどころとなりうる「ほんとうのこと」を真剣に求めました。「真理」とは、生きる支え、よりどころであり、その意味で「命」に通じます。「真理」「命」は、「生きるよりどころ」「生きる力」のことと言えます。
そう考えると、「道」とは「生き方」ととらえることもできます。こういう意味の「道」は、日本で昔からいう「華道」「茶道」「武道」などの「道」に通じます。たんなる技術や知識を超えて、どう生きるかということを追求するのが「道」つまり「生き方」です。
キリストは「わたしは道であり、真理であり、命である」と告げます。キリストという生き方を生きるように励まされ、促されているのです。

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