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2019年3月 2日 (土)

2月24日「追い出される」

彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」 彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。 (ヨハネ9章30~34節) 
 生まれつき目の見えない人を、弟子たちは、罪の結果だと決めつけます(9:2)。当時、障がいや病は罪に対する神の裁きと考えられていました。障がい者や病人には、体の苦しみやつらさだけでなく、「罪人」という偏見や差別が加えられ、一般の社会生活から隔てられてしまっていました。
 主イエスは、この人を見えるようにしたのですが、ファリサイ派の人々は、主イエスが神からの方だと認めようとしません。かえって主イエスを認める者を会堂から追放しようとします。会堂は、ユダヤ人の生活と信仰を支える、共同体の中心です。会堂から追放されるとは、神との交わりからも人との交わりからもしりぞけられることでした。
 ファリサイ派の尋問に対し、見えるようにされた人は、主イエスのことを「神から来られた方」と言い表します。それによって、外に追い出されてしまいますが、かえって主を信ずる信仰へと導かれるのです。
ヨハネ福音書が書かれた当時、教会は、厳しい迫害にさらされていました。追い出されても主イエスへの信仰を表明したこの人の姿は、ヨハネ福音書の最初の読者たちを励ましたでしょう。
 しかし、考えてみれば、この人は始めから「追い出され」ていた人ではなかったでしょうか。生まれつき見えなかったために、罪人とみなされ、社会から追いやられていたのです。しかし主イエスはそこにおいでになり、この人に働きかけ、ついに信仰へ導きました。追い出された者が、あるいは追い出されたところでこそ、主イエス・キリストに出会うのです。
 追い出され、取り残され、交わりから遠ざけられているような思いを抱えているでしょうか。けれども、その中でこそ、「あなたは人の子を信じるか」との主イエスのよびかけを聞くのかもしれません。

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