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2019年4月 7日 (日)

北部日記 4月7日

新元号が発表されました。メディアでは飽きるほど繰り返し話題としてとりあげられ、あたかもこの世のすべてが新元号に染まっていくような演出がなされています。しかし、世界の人々からすれば、ある国のカレンダーの書き方の問題にすぎません。

今回、初めて中国の古典ではなく日本の『万葉集』を根拠として元号の文字が選ばれました。それを「日本らしさ」と評価する声が紹介されますが、そもそも「元号」という制度そのものが中国にならったものです。根拠とされた万葉集の文章じたい、中国の詩文に基づくものと指摘されています。「日本の伝統」を強調すればするほど、わたしたちは始めから隣国との関係に生かされ養われてきたことが明らかにされてきます。

歴史的には、元号は支配者が定め、その支配下にある人々に使わせるものでした。逆に、ある支配者が定めた元号を用いないことは、その支配を認めないということでした。日本でも、京都の朝廷が元号を新しく定めても古い元号を使い続けることで政権への異議を表明した例は多くあります。室町時代、朝廷が南北に分裂し、それぞれ別々に元号を定めていたとき、各地の有力者たちは、どの元号を使うかでどちらの朝廷を支持するかを明らかにしていました。元号は、きわめて政治的な意味をもつ道具なのです。

 わたしたちは、「キリスト者だから、元号ではなくキリスト紀元(西暦)を用いる」とも主張します。しかし、それ以前の問題として、「元号を定め使わせるのは、人が人を支配するしるし」ということをこそ、しっかり心にとめておかねばなりません。

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