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2019年4月13日 (土)

4月7日「わたしの名によって」

 わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。       (ヨハネ16章25~28節)


 教会生活を始めたころ、祈りのことばをどう整えたらよいか、戸惑ったのではないでしょうか。はじめに神への呼びかけのことばがあり、讃美・罪の告白・願い・とりなし・感謝などを述べたあと、最後に「主イエス・キリストの御名によって祈ります」と言います。これはどういう意味でしょうか。
 主イエスは、捕らえられて十字架にかけられることになる直前、弟子たちに「その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる」(26節)と告げました。「その日」とは、十字架とそして復活が成し遂げられたときを意味します。それまでは、弟子たちが神に願い祈るのではなく、主イエスが弟子たちと生活を共にしながら彼らのために願い祈ってきました(24、26節)。しかし、主イエスの復活と昇天の後、地上に残された弟子たちは、主イエスの名によって、父なる神に直接願い祈るようになるというのです。
 ところで、「わたしの名によって」(26節)を直訳すると「わたしの名の中で」となります。「主イエス・キリストの御名の中で祈ります」とは、祈るわたしが主イエス・キリストに所属することの表明です。わたしたちは、キリストに属する者たちの群の中で祈っているのです。関田寛雄牧師は「個人は常に神の民の一員として祈るのであって、祈りにおいて彼は歴史の主のみわざに参与する」と記しています。
 主イエスは、弟子たちの群に対して「あなたがたはわたしの名によって願うことになる」と告げました。「あなたがた」つまり弟子たちの群、教会は、キリストの名によって祈る共同体、祈りの共同体となりました。わたしたちは、ひとりで祈るときでも、キリストの名のもとにある祈りの共同体の中で祈っているのです。わたしの祈りがどんなにつたなくとも、それはキリストの体である教会の祈りであり、キリストがご自身の祈りとしてくださるでしょう。
 

 

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