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2019年5月 4日 (土)

4月28日 「成長する体」

こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。 (エフェソ4章12~16節)
 

 2004年度、15節の前半にもとづいて「語り合う」と教会の年度主題を掲げました。今年度は同じ15節の後半から「成長する体」と掲げたいと思います。
 使徒パウロは、教会という共同体を体になぞらえ、「体にはさまざまな部分があるように、教会もいろいろな者たちがみな結びあってひとつの生きた体となる」と教えました(ローマ12:4以下、コリントⅠ12:12以下)。16節でも同じことを述べていますが、ここにはさらに、その体が「成長する」ということが加えられています。そして、キリストの体の成長とは、教会共同体が「愛によって作り上げられていく」ことと言いかえられています。
 高齢化が進み、教会の礼拝出席者が減ってきています。成長どころか縮小しているようです。しかしその中で、互いに気遣い、訪ね、祈りあう愛の交わりはかえって深まっています。それは教会の「成長」と言えるでしょう。これからいっそう、「あらゆる節々が補い合って、しっかり組み合わされ、結びあわされて、各々の部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって作り上げられていく」(16節)ことを心にとめて歩んでいきましょう。
 さて、またこの「成長」は、「成熟した人間」(13節)「未熟な者」(14節)という語を用いてもあらわされています。
 「未熟な者(こども)」とは、その時その時の誤った教えにふりまわされるような状態です。教会は、いまこの時代の風に惑わされることなく、しっかり真理に立つことができるよう成長しなければなりません。
 教会が「成熟した人間(おとな)」に成長するということは、教会に「キリストが満ちる」ことと言えるでしょう(13節)。時代に流されずに真理に立ち、互いに補い合い組み合わさって、愛によって共同体が作られていくように、キリストに向かって、キリストが満ちるまでの成長をめざしましょう。
 

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