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2019年5月11日 (土)

5月5日「祝福と讃美」

わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。(エフェソの信徒への手紙1章3~7節)

『エフェソの信徒への手紙』の冒頭、挨拶に続いて神をたたえることばが記されます。3~14節は原文では一つの文で、「たたえられますように」という語から始まっています。原語では「エウロゲオー」ですが、これは「よいことばを言う」という意味で、人が神をたたえる「賛美」だけでなく、神から人への「祝福」、さらには名詞形で「贈り物」の意味でも用いられます。3節後半を直訳すると「天のあらゆる霊的な祝福(贈り物)で祝福する」となります。つまり、3節では「エウロゲオー」という語を重ねて、神と人とが「よいことば」をかわしあう、幸いなよい関係を描いているのです。
 その「祝福」「贈り物」とは、具体的には「神がわたしたちをご自分の子にしようと選び、定めてくださった(4~5節)」ということです。これは、「わたしたちキリスト者は選ばれた存在だ」といった優越感を表しているのではありません。他の人と何も違わないのに、なぜかわたしたちはキリストにつながり、教会に加わり、信仰の道を歩むようになりました。それはわたしたちが選んだのではなく、なぜか神がそう定めたとしかいいようのない人生のふしぎです。わたしたちはそれを神の祝福、贈り物とうけとめて神をたたえるのです。
 さて、6節にも「たたえる」とありますが、これは原語では「エウロゲオー」とは別の語です。同じ語が12節・16節にもあり、「神の栄光をたたえるため」という句が繰り返されています。よく読むと、いずれも「栄光をたたえるために」として、約束された神の御国をうけつぐ希望を語っています。
 わたしたちは、なぜかキリストによって神と結ばれ、教会に集い、神の子としての将来の希望を与えられました。今はわたしたちは個人的にも、また教会も、まだまだ問題を多く抱えています。しかし、将来の希望を信じ、神の栄光をたたえるに至る道をたどっているのです。 
 

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