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2019年8月17日 (土)

8月11日「キリストのように」

キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。 (エフェソの信徒への手紙5章21節)
 それぞれの家庭での苦労や困難について、教会の中でも話題にしづらいかもしれません。しかし、最初の頃の教会では、きっとそんなことも教会の信仰の交わりの中で受けとめられていたのでしょう。エフェソの信徒への手紙では、そんな状況を前提に、「妻と夫」「子と親」そして「奴隷と主人」といった、家庭の問題についての教えが記されています。21節は、「妻と夫」の関係だけでなく、家庭のことがら全般についての原則です。
 キリストに対する「おそれ」とは、こわがり、おびえることではなく、「うやまう」「とうとぶ」「畏敬」「敬意」「尊重」という意味です。家族に対し、そういう「敬意」をもって、「互いに仕えあいなさい」というのです。これは当時の社会では衝撃的な教えでした。家庭は、夫であり父であり主人であるものが一方的に支配し、仕えさせるものだったからです。当時の常識は、「妻は夫に対するおそれをもって夫に仕えなさい」「子は父に対するおそれをもって父につかえなさい」というものでした。しかし、ここでは夫・父・主人に対し、「互いに仕えあいなさい」とうながしているのです。
 この、家庭生活についての教えは、4章17節以下の、新しい生き方へのうながしの一部です。信仰者は、教会で、キリストに学び、新しくされます。そういうキリスト者にとって、教会だけでなく、家庭もまた、キリストのもとに互いに仕えあう関係によって成り立つところとなります。信仰をもつとき、それぞれのプライベートな家庭生活からして変わっていくのです。
 現実には、家庭生活、家族との関係を変えていくのは容易ではありません。家庭のありかたは、生活のなかでもなかなか変えられないところです。しかし、キリストは、そこからして私たちを新しくすることができます。そこに希望があるのです。

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