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2019年8月10日 (土)

8月4日「光とされる」平和聖日礼拝

あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。―光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。― 何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。(エフェソの信徒への手紙5章8~13節)

 毎年8月には、広島・長崎の原爆被害、そして15日の敗戦記念日を覚え、戦争の悲惨と苦難を思い起こし、平和への思いを深めます。
 しかし、8月15日が意味するのは苦難や悲痛だけではありません。近隣アジア諸国、とりわけ植民地だった台湾・朝鮮の人々にとっては、日本の支配という災いから救われた解放の日であったことを心に刻まなければなりません。あたかもバビロンの滅亡を喜ぶイザヤ書14章のように、日本の敗北を喜ぶ声があがったのです。
 いま日韓関係が非常に困難になっていますが、そのきっかけは元徴用工の問題とされています。日本政府は、国家間の条約で解決ずみとしていますが、しかし、かつての抑圧的支配のもとで苦しんだひとりひとりの人生に対しては何の補償も約束されないままにされてきました。
 戦争中、朱鞠内のダム工事で犠牲となった朝鮮人労働者の遺骨を発掘し、故郷に返す働きが何十年も続けられています。日本・韓国・在日の若者が共同で作業にあたり、それが新たな平和の希望の光となっています。
 あの時代、キリスト教会はどうだったでしょうか。百年前の3・1独立運動には多くの朝鮮人キリスト者がかかわっていました。しかし、日本のキリスト教会は、日本の支配のためにつごうよく利用され、朝鮮の教会や信仰者を抑圧する側にあったのです。
 「あなたがたは以前には暗闇でした(8節)」との厳しいことばを、うなだれて受け止めなければなりません。それでも主は、暗闇だったわたしたちを「光の子」とすることがおできになります。主のめぐみのみわざに従い、もはや暗闇の業には加わることなく、むしろそれを明るみに出していかなければならないのです。

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