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2019年8月31日 (土)

8月25日「神の武具」

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。(エフェソの信徒への手紙6章10~13節)

 きょうの箇所は、一読すると武器に頼るような表現に違和感を覚えるかもしれません。けれども、「強くなりなさい」(10節)とは敵にいどみかかることではありません。繰り返し「立つ」と言われている(11、13、14節)ように、襲いかかってくる力に打ち倒されず立ち続ける抵抗力を「強さ」といっているのです。「邪悪な日(13節)」つまり「邪悪な時代」にあって、それに負けず、のみこまれず、立ち続けるようにと励まされています。戦う相手は「血肉」つまり生身の人間ではなく、人間を超えた力、人を惑わし、動かし、苦しみと滅びをもたらしている悪そのものなのです(12節)。
 先日亡くなった父は、幼い頃に戦争によって人生の重荷を負わされ、生涯を戦争に立ち向かって歩みました。悪い時代をもたらす悪そのものを見極め、主により頼み、その偉大な力によってしっかりと立って、生身の人間ではなく、人の心をまどわす力を相手に戦うために、神の武具を身にまとう生き方であったと思います。
 14節以下に列挙されている武具は、いずれも身を守るための装備です。唯一の攻撃的な武器として「霊の剣、すなわち神のことば」があげられますが、「神のことば」が「祈り」(18節)のことだとすれば、これもやはり身を守るためのものでしょう。困難な時代の中、それでもなおみこころに立ち続けるための神の守り、すなわち神の武具があるのです。
 これらのたとえは、原文では「あなたがたは」と複数形で語られています。当時、固いきずなで結ばれ、互いを守りかばいあって戦ったローマの兵士たちの部隊がイメージされているのです。わたしたちはひとりで悪に立ち向かうのではありません。教会は、共に神の武具に守られた信仰の仲間、共同体としてかばいあい支えって、この時代に立ち続けるのです。

 

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