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2019年9月14日 (土)

9月8日 「士師の時代」

主は士師たちを立てて、彼らを略奪者の手から救い出された。しかし、彼らは士師たちにも耳を傾けず、他の神々を恋い慕って姦淫し、これにひれ伏した。彼らは、先祖が主の戒めに聞き従って歩んでいた道を早々に離れ、同じように歩もうとはしなかった。主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった。主はイスラエルに対して怒りに燃え、こう言われた。「この民はわたしが先祖に命じたわたしの契約を破り、わたしの声に耳を傾けなかったので、 ヨシュアが死んだときに残した諸国の民を、わたしはもうこれ以上一人も追い払わないことにする。彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうか見るためである。」主はこれらの諸国の民をそのままとどまらせ、すぐ追い払うことはなさらなかった。彼らをヨシュアの手に渡すこともなさらなかった。 (士師記2章16~23節)

 士師記は、ヨシュアの死後、イスラエルが王国となるまでの時代を記しています。イスラエルの12部族がそれぞれに生活を営み、全体をまとめる組織、統一国家はまだありませんでした。なにかことが起こると、その時にふさわしい指導者が現れ、民を導きました。それが「士師」です。
 この士師の時代は、民が繰り返し神に背き、まとまらず、外敵に脅かされた厳しい時代といえます。その後、王国時代になると、イスラエルは統一国家のもと強大になって諸民族を支配し、都エルサレムを中心に富み栄え、神殿が建てられて信仰生活も整えられることになります。士師の時代は、王国以前の、古く未熟な、遅れた弱い時代と考えられるでしょうか。
 ところが、聖書には、別の見方もあります。士師の時代は神ご自身がイスラエルを治め裁いた時代であり、人間の王が神に成り代わって権力を握る体制は、神の民の堕落だ、というのです。
 士師の時代を、どうとらえるべきでしょう。2章16節以下では、神に背く民を、それでも神は見捨てず、士師によって救われたと語られます。この時代は、神のあわれみと救いの時代でもありました。また、20節以下には、神は、はじめの信仰に立ち返るかどうかを試すために苦しみを与えられたと記されます。士師の時代は、試練の時代でした。そして、試練に耐えかねて苦しみうめく、弱く愚かな民を、くりかえし神はあわれみ、救いをもたらしてくださったのです。
 神は愛するゆえにその民を鍛錬されます(ヘブライ12:4以下)。私たちの人生にも、そして新しい神の民、教会の歩みにもまた、困難や課題が与えられます。そのなかでうめき苦しみながら、くりかえし神のあわれみと助けを与えられて、私たちは信仰を鍛えられ成長していくのです。 

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