« 北部日記 9月1日 | トップページ | 北部日記 9月8日 »

2019年9月 7日 (土)

9月1日 「キリストに照らされ」 召天者記念礼拝

明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。
「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。
そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」   (エフェソの信徒への手紙5章14節)
 

 14節に引用されているのは、当時の教会の讃美歌の一節と考えられています。死者の復活をうたう内容です。
 キリスト教は、復活信仰が原点です。ガリラヤで活躍したナザレのイエスは十字架で殺され、弟子たちも散り散りに逃げ去りました。これで終わればイエスのことなど歴史の中に埋もれてしまったことでしょう。しかし、三日の後イエスは復活したと弟子たちは言いだし、再び集結します。こんどは迫害や弾圧にも屈せず、いのちがけで復活を宣べ伝え始めたのです。
 そして、イエス・キリストは復活した、我々もまた復活する、と主張します。死によって私たちは滅ぶのではない、死は最後の裁き、罰ではない、神の力は死よりも強く、死から私たちを救い出すことができる、というのです。
 ヨハネの黙示録には、そういう教会の信仰が数々のふしぎなイメージであらわされていますが、神の支配のもとで復活の命を生きる姿が、「光に照らされる」というイメージで描かれます(黙示録21章23節以下)。黙示録は、厳しい弾圧・迫害のもとで記されました。迫害に苦しみ、命も脅かされる人生は、けっして明るいとは言えないかもしれないけれど、それは必ずキリストに照らされ、永遠に明るく光り輝くものとされるというのです。
 今日、召天者記念礼拝で覚える方々も、必ずしも明るく楽しい生涯を送ったとは限りません。人生の重荷を負ったつらく苦しい場面も重なったことでしょう。しかし、その命がキリストに照らされ、輝くものとされるのです。
 14節の讃美歌は、実際には洗礼式で歌われたとも推測されています。洗礼は、復活のいのちを今ここで生き始めることのしるしです。わたしたちの生涯は、ついにはキリストに照らされることを信じる時、わたしたちは死にも脅かされない新しいいのちを今ここで生きるものとされるのです。
 
 

« 北部日記 9月1日 | トップページ | 北部日記 9月8日 »

説教要旨」カテゴリの記事