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2019年10月

2019年10月27日 (日)

北部日記 10月27日 

先週の「収穫感謝日礼拝」に際し、例年のように野菜類を持ち寄りました。
東日本大震災以降、集まった野菜類は会津放射能情報センターにお送りするようにしています。福島第一原発事故から8年以上が経過しても、子育てに携わるお母さんたちにとって「放射能汚染の心配のない食べ物」を求める思いは切実です。
この夏の北海教区の「保養プログラム」に、たまたま会津放射能情報センターにかかわっているSさん親子が参加していました。北部教会で行われた歓迎ジンギスカンの際に、Sさんが、「毎年、野菜をお送りくださり感謝しています。とくに葉物は放射能の影響がこわいので、安心な北海道の野菜がうれしいです」とあいさつをされたのを、皆さん覚えていたのでしょう、今年はキャベツ・白菜・ホウレンソウなど葉物がたくさん集まり、いつもの玉ねぎ・ジャガイモ・カボチャ等は少なく・・・。
いたみやすい葉物を送るために、今回は少し経費がかかってもクール便で送ることにして、献金も呼びかけました。礼拝直後に発送し、火曜日の朝には会津放射能情報センター代表の片岡輝美さんから「今ほど美味しそうなお野菜がたくさん届きました。ありがとうございます! 早速お母さん達にお知らせしますね。教会のみなさまに心からの感謝をお伝えください」とメールが届きました。あわせて「Sさんの娘さん、希望大学に合格し、新しい道が開かれました」とも。さまざまな思いを分ちあうつながりがさらに深まっています。
 

2019年10月26日 (土)

10月20日 「ヨタムの警告」 収穫感謝日礼拝

シケムのすべての首長とベト・ミロの全員が集まり、赴いて、シケムの石柱のあるテレビンの木の傍らでアビメレクを王とした。このことがヨタムに知らされると、彼はゲリジム山の頂に行って立ち、大声を張り上げて言った。
「シケムの首長たちよ。わたしの言うことを聞いてください。そうすれば、神はあなたたちの言うことを聞き入れてくださる。
木々が、だれかに油を注いで自分たちの王にしようとしてまずオリーブの木に頼んだ。『王になってください。』
オリーブの木は言った。『神と人に誉れを与えるわたしの油を捨てて木々に向かって手を振りに/行ったりするものですか。』
木々は、いちじくの木に頼んだ。『それではあなたが女王になってください。』
いちじくの木は言った。『わたしの甘くて味のよい実を捨てて木々に向かって手を振りに行ったりするものですか。』
木々は、ぶどうの木に頼んだ。『それではあなたが女王になってください。』
ぶどうの木は言った。『神と人を喜ばせるわたしのぶどう酒を捨てて木々に向かって手を振りに行ったりするものですか。』
そこですべての木は茨に頼んだ。『それではあなたが王になってください。』
茨は木々に言った。『もしあなたたちが誠意のある者でわたしに油を注いで王とするなら来て、わたしの陰に身を寄せなさい。そうでないなら、この茨から火が出て、レバノンの杉を焼き尽くします。』 士師記9章6~15節 


 士師たちの時代は、混沌と混乱の時代と言われることがあります。イスラエルには優れた指導者や偉大な王もなく、部族ごとに暮らし、問題がおこると士師が現れて事にあたりますが、根本的に解決せず同じような問題が繰り返されます。士師たちも決して模範的な人物ではなく、共感できないふるまいや無視できない欠点、とりかえしのつかない過ちを抱えています。
 ギデオンもそうでした。ミディアン人を破った後、人が変わったように強気になり、協力しなかった町に復讐したり、偶像礼拝を助長したりします(8:27)。イスラエルの人々も、いちどはギデオンの子孫が代々君臨するよう求めますが、しだいに一族をうとんじるようになります(8:35)。
 ギデオンの死後、息子のアビメレクが野望を抱き、兄弟を殺戮してシケムで王となります。そのとき、生き延びたヨタムがたとえで警告しました。人々の生活を支える作物は権力を求めないが、人を傷つけるだけで実りをもたらさない茨が王になると、やがて災いをもたらす、というのです。
 今年の豊かな実りを与えられました。しかし、神と人のための作物を、政治権力のために利用することは、作物じたいが拒否するでしょう。
 また今週、人々はひとりの人間を即位させようとしています。アビメレクを即位させたシケムの人々に向けられたヨタムの警告を心にとめます。
 ギデオンは、自分を王にしようとした民に「主があなたたちを治められる」(8:23)ときっぱり告げました。聖書は、王制に一定の批判をむけています(サムエル上8:6~)。後に主イエスは、人間の王ではなく神が支配する「神の国」の到来を福音として告げました。偉大な指導者や王がおらず、欠けを抱えた人々がその時々に失敗と反省を重ねながら歩んだ士師の時代は、実は主ご自身が治められる「神の国」から遠くないのかもしれません。

2019年10月20日 (日)

北部日記 10月20日

☆またもや台風が各地に大きな被害をもたらしました。教団の教会関係でも被害の情報が入ってきていますが、まだ全体像が明らかになっていません。今回の被害は、これまであまり大きな災害を経験していなかった教区にも及びました。そうした教区では、緊急時の情報収集や支援の対応にとまどっているようにも見受けられます。しだいに状況が明らかになるにつれて、どんな支援が必要かも見当がついてくるでしょう。教団として緊急の募金も始めました。祈りにお覚えください。
☆先週、北海教区の牧師研修会「教職講座」が行われ、今日の教会や社会の抱えるさまざまな課題について学びました。3泊4日、開会礼拝から始まって講演や協議、報告など十数コマも続きます。みんな「充実した学びだけど、疲れた・・・」と感想。でも、ふだん一人で仕事をしている牧師たちにとっては、同労の仲間たちと寝食を共にし、日ごろの悩みや苦労を分ちあい、励ましや慰めを与えられて、リフレッシュして持ち場に帰っていく貴重な機会です。今年も良い時を過ごすことができました。
☆今週は、天皇の交代に伴う「即位礼正殿の儀」が行われます。大がかりな儀式が行われ、外国からも多くの要人を迎えます。交通の規制や警備も厳しく行われ、ニュースでもにぎやかに報じられるでしょう。、しかし、そもそも天皇とはどういう地位なのか、その交代に際してなぜ多額の費用をかけ国民生活に負担をかけてまで挙行しなければならないのか、肝心な点はほとんど語られません。キリスト者として、市民として、これがどんな影響を及ぼしていくのか、懸念を覚えます。

北部カフェ

北部カフェ

「知っておきたい在宅でのくらしと介護の知恵」

11月16日(土)10:30~12:30

入場無料 事前申込不要 

軽食(200円)を用意して、歓談のときをもちます。

191116

 

 

2019年10月19日 (土)

10月13日 「少なくされる」

エルバアル、つまりギデオンと彼の率いるすべての民は朝早く起き、エン・ハロドのほとりに陣を敷いた。ミディアンの陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにあった。主はギデオンに言われた。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ、と。」こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った。主はギデオンに言われた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで、あなたのために彼らをえり分けることにする。あなたと共に行くべきだとわたしが告げる者はあなたと共に行き、あなたと共に行くべきではないと告げる者は行かせてはならない。」彼は民を連れて水辺に下った。主はギデオンに言われた。「犬のように舌で水をなめる者、すなわち膝をついてかがんで水を飲む者はすべて別にしなさい。」水を手にすくってすすった者の数は三百人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ。主はギデオンに言われた。「手から水をすすった三百人をもって、わたしはあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分の所に帰しなさい。」(士師記7:1~7)

 ミディアン人が襲ってきた時、ギデオンの呼びかけに応えて3万2千人が集まりましたが、そのうち2万2千人は恐れおののいて去っていきました。ギデオンの求めに応えて神が共にいるしるしを示されたのに(6:36~39)、3分の2以上の人々は信じることができなかったのです。
 それでも残った一万人を、神はさらに少なくするよう命じました。水を手ですくって飲んだ300人が残され、9700人は帰されました。この人々がどうして残されたのか、神はくわしく解説しません。なぜかこの人々が残されて用いられることになります。
 ギデオンと共に残った300人は、「大麦のパン(7:13)」に象徴されるような、ごく普通の農民たちでした。ろくな武器も訓練もない農民たちが、奇想天外な戦法で、戦いに慣れた敵の大軍を打ち破りました(16節以下)。しかし、実は肝心なところで戦ったのは主ご自身でした(22節)。わずか300人で13万5千人(8:10)の敵を破ったのは、人の力ではなく、神ご自身のわざだったと聖書は記すのです。
 今の困難な時代、人々を苦しめ脅かす強大な力が迫っているのに、教会は高齢化が進み、新来者は増えず、人数が少なくされてきています。無力と不安を覚えます。しかし、神は、わたしたちの力によってではなく、ご自身の力によって救いをなしとげることができる方です。残された300人を用いて、先に帰された2万2千人、9700人をも救われるのです。
 イザヤ書9章には、ひとりの幼子が与えられ、それによってあの「ミディアンの日」のように神の救いが成し遂げられることが歌われます。神は、キリストによって、少なくされた者たちを用いて救いを成し遂げることができることを信じましょう。
 

2019年10月13日 (日)

北部日記 10月13日

 この季節、「芸術の秋」を味わう余裕もなかなか作れないでいますが、それでも先月は札幌で開催中の「カラヴァッジョ展」に足を運ぶことができました。正直いって美術のセンスにはぜんぜん自信がありませんが、個性的な作品の数々に心ひかれました。とくに、画家カラヴァッジョの数奇な人生と、彼の多くの絵画の題材になっている聖書の場面との関連を考えると、味わい深いものがありました。
 さて、音楽のほうでは思いがけない機会がありました。先週も記しましたが、アシュラムセンター主催のコンサートで、アイヌ民族の音楽や、台湾のタロコ民族の人たちの演奏、そしてキャロル・サック宣教師のリラ・プレカリアを聞きました。音楽として楽しむだけでなく、それぞれの音楽文化の意味や歴史に思いをこらしながら聞くことで、いっそうの深みが感じられます。とくに、アイヌ民族の楽器トンコリは、もともとは樺太アイヌに伝わる楽器で、その音楽はほとんど途絶えかけていたものです。ところが近年、若い世代のアイヌ民族の手でよみがえって新しい流れも生みだしています。伝統と希望の響きを聞きました。
 先週金曜日は太平こどもの家の「お月見コンサート」。ハープとフルートの合奏でした。ハープを演奏してくださったのは、昨年の札幌地区集会でも演奏してくださった麻生教会員の武川菜穂子さん。生で、しかもこんなに目の前で聞く機会などめったにないグランドハープの調べに、こどもたちも息をのむように聞き入っていました。幼い子どもたちの心に、きっと「美」の響きが残ったことでしょう。

2019年10月12日 (土)

9月6日「主のしるし」

主は彼に言われた。「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」彼は言った。「もし御目にかないますなら、あなたがわたしにお告げになるのだというしるしを見せてください。どうか、わたしが戻って来るまでここを離れないでください。供え物を持って来て、御前におささげしますから。」主は、「あなたが帰って来るまでここにいる」と言われた。ギデオンは行って、子山羊一匹、麦粉一エファの酵母を入れないパンを調え、肉を籠に、肉汁を壺に入れ、テレビンの木の下にいる方に差し出した。神の御使いは、「肉とパンを取ってこの岩の上に置き、肉汁を注ぎなさい」と言った。ギデオンはそのとおりにした。主の御使いは、手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使いは消えていた。ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。ギデオンは言った。「ああ、主なる神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて主の御使いを見てしまいました。」主は彼に言われた。「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、「平和の主」と名付けた。それは今日もなお、アビエゼルのオフラにあってそう呼ばれている。(士師記6章16~24節) 
 ギデオンは、ミディアン人の襲撃を恐れ、隠れて作業をしていた小心な農民でした。そこに現れた主の使いが「主はあなたと共にいる」とあいさつすると、ギデオンは反発します。ミディアン人に苦しめられている現状は、主が見放したからではないのか、と言い返すのです。彼は、イスラエルが主に背いてしまっているありさまをよく承知していました。そもそも彼の父の家でも偶像を祭っていたのです。主に背いた我々はもう主から見捨てられた、救われることはない、という暗い絶望の中にありました。「わたしがあなたを遣わす」との主のことばにも、自分の非力さを訴えるギデオンでした。
 それでも、ギデオンはみ使いをひきとめ、主のしるしを求めます。彼が肉とパンを用意すると、それは焼き尽くす供え物とされ、み使いの姿は見えなくなります。ギデオンは「平和の主」と出会ったことを悟ります。
 「平和」は原文では「シャローム」です。広くよい関係・状態をいう語で、平和・平安・安心・繁栄などの意味を含みます。主は背いた民を見捨てず、共にいて、力を与え、遣わし、平和をもたらし、救ってくださるのです。
 この後、ギデオンはただちに行動を起こします。偶像を退けて主への信仰を立て直し、また神の民を再結集させていくのです。
 かつて、主イエス・キリストの十字架の死のあと、二人の弟子が暗い顔をしてエマオへの道をたどっていました。しかし主イエスはそこに共にいてくださり、そうとは知らずにひきとめた弟子たちの前でパンを裂き、姿が見えなくなりました。主が共にいるしるしを示され、弟子たちはただちに出発します。そして信仰が新たにされ、新しい神の民が結集されていくのです。
 聖餐は、主が共におられるしるしです。今日の世界聖餐日、世界の教会と共に平和の主のしるしを示されます。
 

2019年10月 6日 (日)

北部日記 10月6日

☆先週はバザーでした。毎年、秋のバザーは太平こどもの家の活動費のためにとして行っています。今年は朝のひと雨がたたったのか、お客さんが思いのほか少なく、各売り場ものんびりムード。売り場担当者も今回は買い物に回る余裕もありました。 
 バザーの途中で、毎年恒例の、こどもたちによる「おおきなかぶ」の上演。とっても上手に演じてくれました。通信に「去年、初めて劇遊びをして『おおきなかぶ』に魅了され、こどもの家のことを『うんとこしょどっこいしょのおうち』とよんでいます」と書いてくれたお母さんがいます。今年の「うんとこしょどっこいしょ」も心に残ってくれたでしょうか。


☆『信徒の友』誌の「日毎の糧」欄に、日本基督教団の教会が一日ひとつずつ紹介されています。毎朝の早天祈祷会や水曜日の祈祷会では紹介された教会のために祈り、水曜日にははがきに寄せ書きを書いて送っています。9月30日には札幌北部教会が紹介されました。この日は月曜日で、集会を行っている教会はそんなに多くないはずですが、それでも寄せ書きや、個人で祈ってくださっている方々からのお便りが何通も届きました。顔も知らない方々と主によって結ばれている交わりを実感します。掲示しますのでどうぞご覧ください。


☆アシュラムセンター主催の「平和のしらべ」コンサートに出席しました。アイヌ民族の伝統楽器ムックリは有名ですが、台湾の先住民族タロコ族も、ほとんど同じ楽器を用いていました。ユーラシア大陸の東につらなる島々がひとつながりであることを目のあたりにしました。

2019年10月 5日 (土)

9月29日「女たちの逆襲」

 ラピドトの妻、女預言者デボラが、士師としてイスラエルを裁くようになったのはそのころである。彼女は、エフライム山地のラマとベテルの間にあるデボラのなつめやしの木の下に座を定め、イスラエルの人々はその彼女に裁きを求めて上ることにしていた。さて、彼女は人を遣わして、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せて言った。「イスラエルの神、主がお命じになったではありませんか。『行け、ナフタリ人とゼブルン人一万を動員し、タボル山に集結させよ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。わたしは彼をお前の手に渡す』と。」バラクはデボラに言った。「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません。」デボラは、「わたしも一緒に行きます。ただし今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです」と答え、直ちにバラクと共にケデシュに向かった。  (士師記4章4~9節)

 デボラは唯一の女性の士師です。そのころ、イスラエルの民はカナンの王の支配に苦しんでいました。日々、人々の相談にあずかっていたデボラは、そういう民の実情をつぶさに知ったことでしょう。神のことばを聞いたデボラは、バラクを促して決起させます。デボラの指導のもと、イスラエルは、将軍シセラの率いる最新鋭の戦車隊を壊滅させました。
 シセラは、友好関係にあったカイン人へベルの妻ヤエルの天幕に逃げ込みました。しかしヤエルは、安心して寝込んだシセラを殺してしまいます。こうして女たちの手によってイスラエルは救われたのでした。
 しかし、後の時代、男性中心のユダヤの社会にあって、デボラは必ずしも高く評価されていません。ヤエルに至っては、客人をあざむいた悪女とされることもあります。
 けれども、ヤエルは、強引に天幕にやってきた危険な男から身を守って逆襲したと考えることもできます。デボラの働きも、士師記じたいは高く評価して記しています。男性中心の社会であった古代イスラエルの人々も、男たちに逆襲した女たちの活躍を語り伝えていたのです。
 今日でも、男性中心・男性本位の社会の現状に異を唱えて女性の尊厳や立場の回復をもとめる運動が続いています。いわゆる「慰安婦問題」の根底にも日常的に女性をおとしめさげすんできた関係や感覚が横たわっています。女性たちの抗議や逆襲に対する暴力的な反発や怒りもまたそういう感覚のあらわれでしょう。
 遠い昔、デボラやヤエルの姿勢や行動に勇気づけられ、それを語り伝えた女たちの信仰と希望を、現代にあって聞き取りましょう。
 

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