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2019年12月

2019年12月29日 (日)

北部日記 12月29日

 先週、クリスマス礼拝を献げました。教会員の多くの顔ぶれもそろい、久しぶりにおいでの方々も何人もいらっしゃいました。共に礼拝に連なる恵みを喜びながら、聖餐も共にいただきました。
 礼拝後の祝会は、いつものように持ち寄りでの食事。事前のうちあわせもないのに、スープやサラダ、パンとパスタとご飯もの、メインの肉や魚、そしてデザートと飲み物まで、ちゃんとひととおりそろってテーブルに並ぶのが北部教会の不思議です。食べながらお楽しみのプログラムで、なごやかに満たされました。
 祝会の後、何人かの方々と共に、病院や施設の教会員を訪ね、病床聖餐式を行って礼拝の恵みを分かち合いました。
 夜、少し咳がついたかな、と心配しながら床についたのですが、翌朝、まさかの発熱。インフルエンザとの診断で5日間の外出禁止に。床に就きながら、24~25日の予定をどうしよう、と、頭はさらに痛く・・・。けっきょく、キャンドルサービスは聖書朗読と讃美歌と祈りを重ねてメッセージなしのプログラムで行うことに。急な事態で、クリスマス委員の方々にはいっそうのご負担をおかけしてしまいました。
 キャンドルサービスの出席者名簿をあとで見せていただきました。毎年おいでになる方、案内を見て来られた方、近隣の方、こどもたちなど、それぞれの思いをもって参加された方々です。せっかくのクリスマスイブの礼拝でしたのに・・・。情けなく、申し訳なくてなりません。来年はちゃんと予防注射を受けるようにしておきましょう。

2019年12月28日 (土)

12月25日 「その方を拝みに」クリスマス礼拝

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
(マタイによる福音書2章1~2節) 
 東の国の占星術の学者たちが、ユダヤ人の王が生まれたことを知って、その方を拝みにやってきました。「拝む」とは、礼拝することであり、神に対するふるまいです。新しくユダヤに生まれた王を、神としてあがめるために、遠い異国から、けっして楽ではない旅路を重ね、しかも高価な贈り物を用意してやってきたのです。相当の決意と覚悟によるものだったでしょう。かんじんのユダヤの人々が、王の誕生を知らされても、拝むどころか会いに行こうともしないのとは対照的です。学者たちは、自分にとって大切な何か、危険を冒し負担を負ってでも尋ね求めたい、かけがえのないものがあると信じ、真剣に求めてきたのでした。
 キリスト者の詩人八木重吉に、「神様あなたに会いたくなった」という無題の一行詩があります。詩人は、いつ、なぜ、神に会いたいと思ったのでしょうか。教師だった八木重吉は、結核のために妻と二人の幼子を残して29歳で生涯を終えました。その人生のどのような場面で、神さまに「会いたくなった」とよびかけたのでしょう。
 詩人のように、神さまに会いたくなる時があるでしょうか。寂しさにたたずむとき、人生に迷うとき、ぬくもりや支えがほしいとき、苦しみ悩み、確かなよりどころがほしいとき、「神様あなたに会いたくなった」と心の奥深くつぶやくようなことがあるでしょうか。
 クリスマスは、神との出会いの時です。神の子がわたしたちのところにおいでくださいました。それに応え、あの東の国の学者たちのように、わたしたちもこの方を拝むために、決意をして旅立っていくのです。たどりつく先がさだかではなくても、思い切って踏み出していくとき、不思議にも神の子のもとへと導かれていくでしょう。

2019年12月21日 (土)

12月15日「さきがけ」

ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。」(マタイによる福音書11章2~10節)

 主イエスに先立って現れた洗礼者ヨハネは、聖書ではかつての預言者エリヤの再来と示されています。エリヤは、メシアが現れる前に再来するとされていました(マラキ3:24)。ところが、マタイ福音書では、洗礼者ヨハネがエリヤの再来であるとは明記されていません。ただ主イエスご自身だけが、それも慎重な言い回しで、「ヨハネは実は現れるはずのエリヤだ(11:14)」と明かします。ヨハネが、メシアのさきがけとしてあらわれるエリヤだということは、その後に来た主イエスご自身がメシアだということにほかなりません。主イエスがメシアだと信じてはじめて、ヨハネがそのさきがけとして現れたエリヤだと認めることになるのです。 

 さきがけの役割は、後からくる主要な人物が、充分にその働きを発揮できるよう、みんなが迎える準備を整えることです。ヨハネは人々に罪の自覚と悔い改めを促し、主イエス・キリストが来られる備えをしたのでした。

 そしてさきがけとしてのヨハネが捕らえられて姿を消した後、主イエスがその働きを始めました。

 ところが、ヨハネは、主イエスのことがほんとうにむかえるべき方なのかどうか、疑いを示します。主イエスがほんとうの「来るべき方」でなければ、ヨハネの役割も無意味になってしまいます。ヨハネは悲しい疑いに落ち込んでしまいました。それでも主イエスは、そんなヨハネをさきがけとしてのエリヤだと認めてくださったのです。

 教会は、またわたしたちキリスト者は、来るべき再来のキリストのさきがけとしての使命があります。人々がキリストを迎えることができるように備えさせることが伝道であるともいえるでしょう。そんなわたしたち自身が、ときに疑い、迷い、悩みにおちいるかもしれません。それでもキリストはそのようなものをもご自身のさきがけとして認め用いてくださるのです。 

2019年12月15日 (日)

北部日記 12月15日

 毎年12月になると、あちこちでクリスマス会が行われます。先週は日曜日の女性の会のクリスマスを皮切りに、太平子どもの家の「ほっと広場」「こあら会」それぞれのクリスマスがありました。その合間に、札幌YWCAのお手伝いをして昨年の胆振東部地震で被害を受けたむかわ町の児童施設のクリスマス会にも行きました。今日の午後は北部教会のこどもクリスマス、そのあと今週は愛知の高齢者施設やクリスチャンセンターの家庭福祉相談室や保育園にも赴きます。
 この季節、何度もクリスマスのメッセージを語ります。それぞれの場にふさわしいお話でなければなりませんし、聞く人が重なることもあります。そのつど新しい話をしなければと、本や新聞などで話の材料(いわゆるネタ)を集めるのに毎年苦労します。クリスマス関係の本だけで本棚の一段分以上にはなっていますが、それだけでは足りず、毎年本屋さんに行っては何かよい材料がないか探します。もちろん全部買うわけにはいきませんので立ち読みですが・・・(本屋さんごめんなさい!)。
 こうして四苦八苦していると、ふと、昔キリスト教学校に通う友人から聞いたことを思い出します。「学校のクリスマス礼拝には、毎年S牧師がきてお話をしてくれるんだけど、毎年同じ聖書の話なの。だけど、毎年、感動して泣いちゃうの」。
 クリスマスのメッセージはもともと聖書に記されたイエス・キリストの降誕という同じ話の繰り返しです。それをそのつど新鮮な感動をもって語り、また聞くことができればと願いながら、今年も準備にもがいています。

2019年12月14日 (土)

12月8日 「小さい者たちの王」

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」    マタイによる福音書25章31~40節 
 アドベントはキリストの再臨を待ち望む思いを新たにするときです。けれども、キリストが再びおいでになるとして、それがわたしたちの今にどうかかわるのでしょうか。
 今日の聖書ではキリストがおいでになって、すべての国の民をよりわける場面が描かれています。よりわける基準は、「最も小さい者のひとり」に何をしてくれたか、ということです。聖書は、再臨されるキリストの裁きに備えて弱い立場の人々に親切にしなさい、と促しているのでしょうか。
 しかし、ここで祝福を受ける人々は「いつそんなことをしたでしょうか」と驚いています。人々は、そのように裁きに備えて親切を心がけてきたわけではないのです。
 この場面のキリストの言葉を、「もっとも小さい者のひとり」として聞いたらどうでしょうか。厳しい現実の中で苦しみあえぎ、だれもかえりみてくれず、見捨てられた思いの中で、しかし、キリストはわたしを兄弟とよび、わたしと同じ立場に立ってくれる、このかたは小さい者たちの王なのだ、と受けとめるとき、それが希望となるのです。
 ところで、聖書学者たちは、この「小さい者」とは、世の弱い立場の人たち一般ではなく、最初の教会で働いた弟子たち、福音の伝道者たちのことを指していると指摘しています。そうであれば、この個所を、わたしたち教会に向けられた励ましと受けとっていいと思います。
教会は、今、小さく、乏しく、弱くなっています。しかしキリストはわたしたちを兄弟とよび、この中に身を置いてくださいます。わたしたち は、この方を主また王として従うのです。キリストが再びおいでになるのを待つ間、わたしたちはこの方に従って神を愛し人に仕えて歩むのです。

 

2019年12月 8日 (日)

北部日記 12月8日

 あいついで二人の人物の死が大きなニュースとなりました。
 ひとりは中曽根康弘氏。いうまでもなく、1980年代に首相をつとめた政治家です。中曽根首相の時代、私は大学生でした。自分のこれからを考える時期に、中曽根首相の主導による日本の右傾化・軍事化に不安を覚えたことを思い起こします。アメリカのレーガン大統領との親密な関係を誇り、トップダウンの手法で新自由主義を導入したことが、今日の日本社会が抱える深刻な課題にもつながっています。
 先週、アフガニスタンで中村哲医師が襲撃・殺害されました。誠実なキリスト者であった中村医師は、はじめ日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から派遣されてパキスタンでの医療にあたっていました。やがて、隣国アフガニスタンからの難民と出会って、難民が生じるその原因に対処しなければならないと考え、人々の暮らしを回復するために農地を開く潅漑事業に取り組んでいきました。中村医師の死を、アフガニスタンの多くの人々が心から嘆き悲しんでいるようすが胸をうちます。
 中村医師が活動を始めたのは、ちょうど中曽根政権の時代でした。中曽根首相は改憲を信条としてアメリカとの軍事同盟を強化していきましたが、中村医師はつねづね「自分の活動は、憲法第9条に守られてきた」と語っていました。中村医師がアフガニスタンの人々と共に農地を開き、いのちを守り暮らしを築いてきた間に、日本では歴代政権のもとで格差が拡大し、貧困がひろがってきました。
 人の生き方と、人生でなすべきことについて、考えさせられるのです。

 

2019年12月 7日 (土)

12月1日 「その時は来る」

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」 (マタイによる福音書24章36~44節)
 
 待降節(アドベント)に入りました。先日、新聞の別冊で「アドベント」を特集していました。「今年のクリスマスはアドベントも楽しみませんか?」という趣旨で、いろいろな商品やお菓子などを紹介しているのですが、それと共にアドベントの意味も要領よく説明しています。そして「待降節にはもうひとつ大切な意味があります。それはイエス・キリストの再臨に備えること。しっかり準備してそのときを待たなければならない、待降節はそのことを思い出すときでもあります」とも記しています。アドベントは、二千年前にキリストが生まれた過去を覚えるだけでなく、これからキリストが再びおいでになる未来のその時に備える思いを深める機会なのです。
 キリスト教は、もちろんイエス・キリストを語り広めることから始まりました。その際、いちばん大事なのは、この方が死んでよみがえったことでした。教会はクリスマスよりもむしろイースターを祝っていたのです。
 もうひとつ大切なこととして語り伝えたのが、よみがえったキリストは再びおいでになるということでした。その時つまり再臨の時は、この世にとって決定的な時となるのです。主イエスご自身、「神の国は近づいた」ということを福音つまり「よい知らせ」として宣べ伝えました。キリストが再臨されて神の支配が明らかにされる、決定的なその時は来る、と教会は緊張感をもって宣べ伝えました。今日の聖書の個所は、そういう緊迫感を伝えています。
 ところが、時がたつとそういう緊迫感がゆるんできてしまいます。そのころから教会はクリスマスを祝うようになりました。かつて、救い主が生まれるのを民が待ち望み続けたことを思い起こし、キリストが再びおいでになるその時を待ち続ける思いを新たにするようになったのです。
 キリストはおいでになります。緊張感をもって、その時を待ちましょう。
  
 

2019年12月 1日 (日)

北部日記 12月1日

 『信徒の友』の12月号に、「12月25日に降誕日礼拝を」という記事がのっています。日本のプロテスタント教会のほとんどがクリスマス当日の12月25日に礼拝を行っていないことに疑問を提起し、筆者の教会で10年ほど前から25日の午前中に礼拝を行っていることを紹介しています。筆者の吉岡光人牧師は、聖書日課「日毎の糧」の編集にもかかわった方で、教会暦とつながる礼拝の大切さを教えられます。
 12月25日に礼拝が行われなくなったのには歴史的理由があるように思います。前任の旭川豊岡教会には明治の頃からの資料が残っていましたが、かつては毎年12月25日にクリスマス行事が行われていたことが記録されています。ところが1926年(大正15年)12月25日の未明に大正天皇が死去し、その日予定されていたクリスマス祝会が中止となりました。翌年の12月25日は日曜日だったにもかかわらず、天皇の一周忌をはばかってクリスマス祝会をわざわざ翌日の月曜日に行っています。それ以降も、クリスマス祝会を25日に戻したようすはありません。そのうちに戦争の時代となり、天皇の死んだ日に祝い事を行うのはますます難しくなっていったのではないでしょうか。
 吉岡牧師は、日曜日の礼拝や夜のキャンドルサービスには出席が難しい高齢の信徒が、平日昼間のクリスマス礼拝には出席できると示しています。北部教会では25日の早天祈祷会をクリスマス祈祷会として覚えていますが、クリスマスの喜びをさらにゆたかにわかちあう可能性もあるかもしれません。

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