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2020年6月 6日 (土)

5月31日「アッバ、父よ」 ペンテコステ礼拝

それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。(ローマの信徒への手紙8章12~17節) 
 今日は聖霊降臨を記念するペンテコステ礼拝です。
 聖霊の働きとして、パウロは「この霊によってわたしたちは『アッバ、父よ』と呼ぶ」と記します。「アッバ」とは、主イエスや弟子たちがふだん話していたアラム語で、幼児が父親を呼ぶときの「とうちゃん」という語です。主イエスは神にそんなふうに呼びかけ、弟子たちにもそうするように教えました。
 新約聖書はギリシア語で書かれました。聖書にギリシア語で「父よ」と記されている個所のいくつかは、もともとはアラム語の「アッバ」であったと考えられています。のちの教会は、主イエスから教えられたように、神に「アッバ」とよびかけて祈りました。パウロもそれを踏まえて記しているのです。
 神の子キリストは、神を親しく「アッバ」と呼び、私たちにもそうするよう促しました。被造物に過ぎない私たちも、ふしぎにも神の子キリストと同じように「神の子ども」とされ、ほんとうの神の子のように生きるのです。そういうふしぎをもたらすのが神の力、聖霊なのです。
パウロは、この8章では、これまでの生き方を「肉」で表し、神の子としての生き方を「霊」と言い表しています。そして17節では、神の子とされる意味として、神の栄光を受けるだけでなく、「キリストと共に苦しむ」ことをも与えられると言っています。
 じつは、聖書で、主イエスご自身が「アッバ」と呼んだことが直接記されているのはマルコ14章36節のゲツセマネの場面だけです。聖書は、ここだけは主イエスの生のことばを訳さずに記しています。主イエスは、受難を前にしてもっとも悩み苦しんだ時、神に「アッバ、とうちゃん!」と呼びかけ祈ったのです。神の子にとって、神とはそういう方なのです。私たちも、悩み苦しむときにこそ、聖霊によってキリストと共に「アッバ、とうちゃん!」と呼ぶのです。

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