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2020年7月 4日 (土)

6月8日「新しい自分」

ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。(ローマの信徒への手紙7章4~6節)
 
 「コロナ後」の社会は、これまでとは異なるものとなっていくでしょう。政府は「新しい生活様式 ニュー・ライフ・スタイル」と称して「人との間隔をあける」「マスク・手洗いをする」などと勧めています。しかし「ライフスタイル」をいうなら、この社会の価値観や、これまでのひとりひとりの生き方といった、もっと深く本質的な点から変えていくべきでしょう。
 なにか大きなできごとに出会ったとしても、それをどれほどの深さでうけとめるかで、そのできごとの意味が定まってきます。表面的な浅いレベルで終わってしまうのか、これまでの生き方・ライフスタイルや、心の内までが変わるのかで、そのできごとが人生のだいじな出会いになるのか、ひとつのエピソードに終わるかが決まってくるのです。
 「卒業信者」という言い方があります。洗礼を受けたのに教会を離れてしまった人の中には、教会をも「よい思い出」のひとつとしてキリスト教を「卒業」してしまう人がいます。洗礼のできごとを深く受けとめることなく、浅いレベルで終わってしまったようです。
 パウロは、洗礼の意味を、キリストの死と復活にあずかることだと記します。それは人生が、その前後でがらっと変わってしまう、決定的なできごとだということです。パウロにとって洗礼は、それほどの深い大きなできごとでした。
 「罪へ誘う欲情が律法によって働く」(5節)というのは、一般論というよりむしろパウロ自身の体験だったのでしょう。キリストと出会い、洗礼を受けることによって、パウロは律法からの解放を味わい、キリストに生きる新しい自分となったのでした。
 「『わかる』とは『かわる』ことだ」と言います。新しい自分にかわるほどに、キリストとそのできごとが「わかる」ことを望みましょう。

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