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2020年8月 1日 (土)

7月26日「永遠の負債」

互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。(ローマの信徒への手紙13章8~10節)
 
 新型ウイルスで社会が揺れ動く中、教会は何をすべきでしょう。昔、疫病が流行した際、教会は愛によって医療や看護につとめました。今この状況の中でも、愛に基づく働きにつとめている教会があります。
 愛することは教会、キリスト者のつとめです。パウロはかつて律法を全うしようと懸命に努力し、かえって愛を見失って人に悪を行って苦しめ損なっていました。その痛恨の思いをもって「人を愛する者は律法を全うする」「愛は隣人に悪を行わない」と記したのではないでしょうか。愛を「借り」(8節)と表現したのも、そういう過去の負い目によるものだったのかもしれません。永遠に返済できない「借り」「負い目」「負債」です。
 互いに愛しあうことは、いつまでも残る「借り」「負債」だということは、いいかえればわたしたちは愛を完成できないということです。パウロは、この手紙で「人は律法を全うできない」と述べてきました。律法とはつまり人を愛することだとしても、私たちは愛を全うできず、いつまでも負い目が残るのです。
 その負い目は、律法つまり神の掟、神のみこころに従うことができないという神に対する負い目です。それは「罪」という意味でもあります。
主の祈りで「負い目を許してください(マタイ6:12)」と祈ります。わたしたちは神に対して「みこころに従って隣人を愛することができない」という負い目を負っているのです。
 しかし神はまた、この負い目をゆるしてくださる方です。主イエスは、とてつもなく大きな負債をゆるす神を示してくださいました(マタイ18:23~)。
 わたしたちは、返すことのできない負債、愛を全うできない負い目を、それでもゆるされているのです。それが神の愛です。それほど大きな愛を注がれていることこそ、永遠の負債という恵みなのです。

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