カテゴリー「北部日記」の記事

2017年5月21日 (日)

北部日記 5月21日

 敗戦に至るまでの戦争の時代、「治安維持法」が社会や政治に深い影響を及ぼしていました。「治安維持法違反」を名目に検挙されたのは、政治や社会運動に携わった人たちばかりではありません。芸術家、宗教家、福祉活動、労働組合、教師、学生、外国人など、あらゆる立場の人々が「治安維持法」での取り締まりの対象となり、「自分は治安維持法違反などとは関係ない」と思っていたのに、ある日とつぜん警察に連行されてしまった人々も少なくありません。キリスト教関係者も多くその対象になりました。三浦綾子さんの晩年の小説の『母』や『銃口』も「治安維持法」の恐ろしさを描き出しています。
 「治安維持法」の成立は、民主的な「普通選挙法」の成立と同時期でした。「大正デモクラシー」といわれるような、前後の時代にくらべて比較的自由な雰囲気であったといわれるこの時期に、こんな恐ろしい法律がどうして成立したのか、歴史を学んでもどうも腑に落ちませんでした。当時の政治家たちや世論は、この法律のもたらす深刻な影響にどうして考えが及ばなかったのか、ふしぎでならなかったのです。
 しかし、まさに今、「あの時代の流れもこういうことだったのか」と腑に落ちてしまうような状況のただなかにあります。「現代の治安維持法」とも批判される「共謀罪法案」が国会で審議されています。かつての治安維持法がそうであったように、いちど成立した法律は、後日さらに強化され、もっと恐ろしいものになりかねません。「テロの恐怖」を逃れようとして「権力の恐怖」に陥る愚をくりかえすわけにはいかないのです。

2017年5月14日 (日)

北部日記 5月14日

 このごろ、「こども食堂」という活動が知られてきています。かつては「総中流」といわれた日本の社会も、今では格差が広がり貧困家庭が増えています。経済的な貧困だけでなく、困難な家庭の状況などもあって貧しい食卓しか知らないこどもたちに、安価でまた心なごむ食事を提供しようという有志の活動が「こども食堂」です。
 「こども食堂」だけでなく、「地域食堂」などと言われる活動も含め、さまざまな「いっしょに食べる」取り組みが広がっています。こどもだけでなく、一人暮らしの学生・青年のため、あるいはむしろ高齢者が集まっているところ、広く地域の交流の場として世代間の出会いと交流をねらったもの、食品や農の課題に関心を寄せている活動など、目的や形態は幅広くいろいろですが、いずれにしても、同じ場所で食事を共にすることで、体の栄養だけでなく、人との出会いや交わりの機会を与えられ、少しでも心ゆたかに生活を支えられることを願っての活動です。
 「太平子どもの家」の今後の活動について考えていく中でも、何度か「こども食堂」が話題となりました。本格的な「食堂」は難しいとしても、「子どもの家」の活動の中で「いっしょに食べる」機会を意識的に増やしていくこととしました。実際、「いっしょに食べる」プログラムの際には集まる人が増えてきているようです。今日の「太平子どもの家」後援会でも、「いっしょに食べる」こととしました。どうぞご参加ください。
 「いっしょに食べる」ことは、そもそも主イエス・キリストが大事にされたことでした。そのことの意味を新しく味わいましょう。

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2017年5月 7日 (日)

北部日記 5月7日

 先週、北海教区の総会が開かれました。議長選挙が行われ、さらにまた1期2年、議長をつとめることになりました。選挙の前に「すでに4期8年をつとめたので、そろそろ次の方に」と発言したのですが、あとで皆に「あれは逆効果」とひやかされました。副議長・書記も再選されましたが、大きな働きを担ってきた日向恭司教区幹事は、あと1年で退任されます。これからを次の世代に受け渡していくことが、この2年の課題です。
 総会の二日目の朝の祈祷会は留萌宮園伝道所の三浦忠雄牧師の担当でした。アイヌ民族情報センター主事でもある三浦牧師は、急遽、アイヌ民族の遺骨返還運動を進めている長老の小川隆吉さんに声をかけて議場に来ていただき、挨拶をされるようはからってくださいました。民族の誇りを示す衣装を身につけて講壇に立った小川隆吉さんの姿に、厳粛な感銘が広がりました。
 2月に行われた韓国へのスタディツアーの報告会が行われ、参加者から何人か感想を語ってくださいました。中でも、18歳で参加したYさんの、率直でまた感性ゆたかな感想に、これも感動を深くしました。
 浦河伝道所を浦河教会とする議案が提案され、教会員のKさんが皆の前で願いを訴えました。温かい拍手と共に議案は可決されました。
 兵庫教区の大仁田拓朗議長が来られ、北海教区との宣教協約を願う兵庫教区の思いを伝えてくださいました。北海教区の連帯の経験を分かちあいたいと申し出てくださる兵庫教区の姿勢に励まされました。
 課題と共に、恵みと希望をも見出した総会でした。

2017年4月30日 (日)

北部日記 4月30日

先週、教会総会が行われ、私たちの教会の新年度の歩みを踏み出しました。あちこちの教会からも、新しい歩みにむかうお知らせが届いています。
 北海教区内で、新しく牧師・伝道師が着任した教会がいくつかあります。
  旭川星光伝道所     斎藤麻美・斎藤開
  美馬牛福音伝道所   斎藤開・斎藤麻美
  帯広教会         井田博康
  札幌北光教会     野田祥
  洞爺湖教会     佐藤待子
 伝道師として野田祥さんを迎えた札幌北光教会以外は、いずれもこれまで無牧師だったところです。斎藤麻美さん・斎藤開さんご夫妻は、二つの伝道所を互いに主任と担任として受け持ちます。帯広教会からは牧師就任式(5月28日午後4時)の案内も届いています。
 また、二つの教会で献堂式が予定されています。
  厚別教会   6月17日(土)午後1時より   
  新発寒教会  6月24日(土)午後1時30分より
 東札幌教会から、創立60周年記念礼拝のご案内が来ました。
  5月21日(日)午後2時   記念礼拝説教:籠場公郎牧師
 さらに、今週行われる教区総会では、浦河伝道所を浦河教会とする議案が審議されます。
 共にある諸教会の歩みをも祈りに覚え、足を運んで顔をあわせ、喜びと感謝を分かちあいましょう。

2017年4月23日 (日)

北部日記 4月23日

 先週は、イースターの礼拝を共に喜び祝いました。春風の吹く中、みんな明るい顔で集まってきていたのが印象的でした。
 礼拝には、隠退された福島恒雄牧師がご夫妻でおいでになりました。福島牧師は、かつて厚別教会の牧師から北海教区幹事となり、その後、旭川豊岡教会で長く牧会され、教会のひまわり幼稚園の園長としても大きな働きをされました。
 私が神学校を出て旭川豊岡教会に赴任した時には、留萌宮園伝道所での困難な開拓伝道に携わっておられました。経験のない新人の牧師にとって、前々任牧師が近くにおられることは何かと心強いことでした。道北地区の牧師会などで同席するたびに、教会のみならず、北海教区・道北地区での経験から、多くを教わりました。
 福島牧師はまた、教会の歴史の研究者としても知られています。1982年に出版された『北海道キリスト教史』は、今もなお読み継がれている業績です。私も神学校の卒業論文は日本のキリスト教史をテーマとしたのを知り、たいへん喜んでいろいろと誘ってくださったのですが、とても福島牧師のように研究に力を注ぐことはできませんでした。
 イースターの礼拝の後、福島牧師が「よい礼拝をありがとうございました」と声をかけてくださいました。何よりのイースターの恵みでした。

2017年4月 9日 (日)

北部日記 4月9日

☆4月1日土曜日の早朝、九州の教会に赴任したばかりのS牧師から電話がありました。「新任地の教会で週報を作るのに参考にしたいので、北部教会の週報を送ってください」とのこと。さっそく、できたばかりの週報をメールで送ると、折り返しのメールに「北部日記を読みました」と、感想が。かつての自分の新任のときの思いを記した内容に、共感してくれたようです。新任地でのお働きが楽しみです。
☆アメリカがシリアに数十発のミサイルをうちこみました。北朝鮮が2~3発を海に発射するのとは全く意味が違います。実際に人が死に、建物が破壊されたのです。シリア政権の毒ガス攻撃を理由としていますが、かつて「大量破壊兵器を保有している」との理由でイラクを攻撃したのに、そんな事実はなかったことも思い起こされます。いっぽうで、以前からシリアではむごい内戦が続き、多くの人々が死に、あるいは難民となって苦難に耐えていることも重い事実です。難民の受け入れをめぐって、ヨーロッパ諸国は深刻な苦悩を抱えています。わたしたちは、みずから苦悩するほど、他国の痛みに近づいているでしょうか。
☆岩波新書の『パウロ 十字架の使徒』を読みました。著者の青野太潮氏はバプテスト教会の牧師で、著名な聖書学者です。「パウロにとって、キリストは十字架につけられたままの姿だった」と著者は強調しています。十字架のキリストに従い、苦難を負い続ける生き方を生きることが示されているというのです。今週は受難週です。今も苦難を身に負っておられるキリストの姿をみつめましょう。

2017年4月 2日 (日)

北部日記 4月2日

 4月に入りました。新年度を新しい環境で迎える方々もいることでしょう。とくに若者やこどもたちは、卒業・進学・進級など、期待や不安にどきどきする日々を迎えていることと思います。
 ちょうど25年前の春、神学校を卒業して旭川豊岡教会に赴任しました。なじみのない土地にひとりで赴き、経験もないのにいきなり教会と幼稚園の責任を負うこととなっていました。はたして自分に教会の牧師のつとめが果たせるのか、多くの人々の魂や人生にかかわる重いつとめがどんなものなのか、思い描くことさえおぼつかない中、北海道の地に向かったのでした。
 その旭川での働きを終えて札幌北部教会に着任して15年目に入ります。開拓伝道から始めて14年間、北部教会で働かれた榎本栄次牧師を超え、これからは歴代の牧師の中で在任期間が最長ということになります。それは、北部教会の形成に、これまでのどの牧師よりも責任を問われるということでもあるでしょう。
 旭川でも札幌でも、思ってもいなかったようなたいへんなこと、つらかったこと、困ったこと、悩んだことがなかったわけではありません。それでも、「想定外」の助けや支え、導き、そして喜びや楽しみは、もっと多くありました。教会にかかわる責任の重さには、それだけ恵みがともなっていたと言えます。
 札幌北部教会も、40年を超えて多くの使命とそして恵みを与えられてきました。神さまのはからいを楽しみに、これからへ向かいましょう。

2017年3月26日 (日)

北部日記 3月26日

 ちょうど50年前の1967年3月26日は、イースターでした。この日の日付で、日本基督教団は「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を発表しました。終戦から22年後のことでした。
 戦争を遂行するにあたり、政府はあらゆる分野を通して国民を統制しようとしていました。宗教に関しても1939年に「宗教団体法」を成立させて宗教教団・団体の管理を強め、それによって1941年にはプロテスタントの諸教派・団体・教会が「日本基督教団」に統合されます。以後、「日本基督教団」の名のもとに戦争体制への協力が実施されていきました。戦争のために献金・物資を集め人を動員したりするだけでなく、神社に参拝し、天皇を拝み、勝利を祈り、戦闘意欲を鼓舞しました。1944年のイースターには「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書簡」を公表し海外のキリスト者に日本軍への協力を要求したのでした。
 戦後の日本基督教団では、そうした戦争中のありかたを深く省みるよりも、むしろ「戦争中は圧迫を受けた被害者だった」という意識が強く、戦争中の指導者であいかわらず教団の重職をつとめ続ける人もいました。それに対し、反省と変革を求める若手の牧師たちが中心となって「戦争責任告白」が準備されます。発表後、教団ではこれをめぐって賛否の激しい議論が巻き起こりました。その影響は今も残っています。
 それでも、50年たった今、「戦争責任告白」はある程度は定着し、一定の評価も得ていると言えるでしょう。そして今もこの告白は、日本基督教団のありかた、そして日本の社会の歩みを問い続けているのです。

2017年3月19日 (日)

北部日記 3月19日

 きょうの礼拝には、札幌元町教会の高濱心吾牧師をお迎えします。札幌元町教会の信徒のMさんもおいでになり、「札幌元町教会宣教協力募金」についてお話しくださいます。
 札幌元町教会の教会員は30名に満たない規模ですが、牧師を迎えるため、3年近い無牧師の期間の間に基金を積み立てる努力をしてきました。2015年12月に、札幌北光教会から高濱心吾・高濱梨紗の両牧師を招聘し、新しい歩みが始まりました。若い牧師たちは地区・教区の働きも積極的に担い、とくに青年たちの活動にかかわって、元町教会もまた活気づいてきています。けれども、教会財政はなお厳しく、運営には年間多額の赤字と基金の取り崩しを前提としなければならない状況です。そのため、2016年度、はじめて「宣教協力募金」として年間100万円を目標に外部の協力を求めることとしたのです。
 わたしたち札幌北部教会にとって、元町教会は「おとなりの教会」であり、信徒どうしの行き来もさかんです。ぜひ協力したいと役員会で検討してきました。そして、まず一度、元町教会から牧師と信徒をお迎えして教会の声を聞き、みんなに献金をよびかけようと考えたのです。 
 「宣教協力募金」はこれから長く継続することが必要です。高濱先生を支える元町教会と共に歩むことは、わたしたちの教会にもさらに豊かな恵みをもたらすでしょう。今日の出会いをきっかけに、これからの取り組みについても考えていきましょう。

2017年3月12日 (日)

北部日記 3月12日

 東日本大震災の発生から6年がたちました。復興が語られるいっぽうで、まだまだ支援の必要が指摘されています。しかし、これまで続けられてきた支援活動がしだいに下火になってきているのも現実です。
 日本基督教団では救援対策本部を設けて支援活動にあたってきましたが、これも今月末で活動を終了します。それにともない、教団が支援してきた東北教区の被災者支援センター「エマオ」も大幅に縮小されます。また、同じく東北教区の放射能問題支援対策室「いずみ」も、その活動を支えてきたアメリカの教会からの支援が終了して、やはり活動・組織が大きく縮小されることとなっています。
 「いずみ」は、これまで北日本三教区と共に親子短期保養プログラムを実施してきました。放射能汚染を逃れて北海道や沖縄で数日間すごす旅をこれまで10回行い、北海道では北部教会はじめ多くの教会・関係者が協力してきました。けれども、「いずみ」の改変により、この短期保養プログラムも従来のような形で継続するのは難しい状況です。それでも、予算・規模を大きく削ってでも、なんとか今年の夏にはまた北海道に迎えることができるよう、計画を立て始めています。
 一般の報道では、「復興」にスポットがあてられています。災害を乗り越えて歩んでいく努力と成果に敬意を払い、その喜びを共にしながらも、いまだにとりのこされている課題や、直視しづらい現実にも、向き合っていかなければなりません。なお軽減されないつらい重荷を、この社会全体で、担い続けていかねばならないのです。

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