カテゴリー「北部日記」の記事

2019年1月13日 (日)

北部日記 1月13日

 2003年出版のノンフィクションを映画化した『こんな夜更けにバナナかよ』を見てきました。札幌を舞台に、難病のために車いすで生活している主人公を大泉洋さんが演じ、その日常を助けるボランティアとの悲喜こもごものエピソードをつづっています。障がい者の主体性と尊厳を、爆笑のユーモアと共に示す、よい作品でした。私も東京での学生時代、同じように車いすで生活している方のボランティアに入っていたことがあり、登場人物に共感するところが少なくありませんでした。
 主演の大泉洋さんが、演じた感想として「娘には『人に迷惑を掛けるな』と教えてきた。でも、人に迷惑を掛けることをそこまで恐れる必要はないのかな…と。自分一人でできないことがあれば助けを求める。逆に求められたときに助けてあげられる人になってほしい。もっと人の迷惑を許してあげられる世の中になっていけば良いのかな…」と語っています。これも味わい深いことばです。
 久しぶりに原作も読み返しました。主人公の鹿野靖明さんが深くかかわってきた、障がい者の権利を回復する運動についても詳しく書かれ、その問いかけや働きは、今もなお大きいことに気づかされます。
 実際の鹿野さんに、ボランティアとしてもっとも身近にかかわっていた一人が北光教会の高*さんでした。映画では萩原聖人さんが演じている、いつもカメラを携えている人物のモデルが高*さんでしょう。原作で用いられている写真の多くも高*さんが撮影したものです。
 鹿野さん自身も洗礼を受けたキリスト者で、葬儀もキリスト教で行われています。キリストの御手は、その人生をどう支えていたのでしょうか。

2019年1月 6日 (日)

北部日記 1月6日

 ちょうど10年前の2009年1月6日は、教会の引越の日でした。
 教会が何年も祈りながら準備を進めてきた新会堂建築がついに実現し、前年12月のクリスマスイブには、まだ何もない新会堂でキャンドルサービスを行うことができました。年があけて1月4日には最初の主日礼拝を新会堂で行いました。
 その前から教会と牧師館の引越のための荷造りを進めていたのですが、6日にトラックで新しい建物に荷物を運びこみました。がらんとしていた建物に、さまざまな品が備えられると、いよいよここでの新しい歩みが始まる実感がわきあがってきました。
 当時のわが家は、こどもたちが小学1年生から中学一年生、いちばん物も多く、手もかかる頃で、そのわりに引越の手助けは期待できません。引越作業がはたして無事終えられるか、本気で心配になりました。実際、今思い出してもげんなりするくらい・・・。
 10年たって、教会もこの地にすっかりなじみ、近隣との関係もしっかり根付いています。教会には前の会堂での教会生活を知らない人たちも加わり、太平こどもの家のこどもたちはもちろんここを「こどもの家」として育ってきました。ここがみんなの「住まい」でもあり、やがて「ふるさと」となっていくでしょう。
 ところで、わが家では、この1月、ちょうど結婚25周年となります。といって、何をするわけでもないのですが、こどもたちの成長や、わが家のささやかな歩みにも記されている、神さまの恵みを少しでもかえりみるときとしたいと思います。

2018年12月30日 (日)

北部日記 12月30日

 先週は、クリスマスの礼拝をささげました。初めての方、久しぶりの方もいて、うれしい集いでした。
  礼拝後の祝会では、北部らしいゆたかな食卓を囲んで、楽しいプログラムが続きました。
  Ⅱ子さんの「漫談」では、みんなで「そだねー」との合いの手が促されました。流行語となった「そだねー」ですが、考えてみれば、意味は「アーメン」と同じですね。「教団の責任を担う牧師を北部教会のみんなで支えよう」「そだねー」のやりとりに、心がじんとなりました。
 その後、東京での常議員会に、副議長として初めて出席してきたのですが、緊張の中、ふと祝会でのみんなの「そだねー」の声を思い出して励まされ、なんとかつとめを果たしました。あの「そだねー」が、すてきなクリスマスプレゼントだったのです。
 さて、クリスマスの諸集会を終えた水曜日、葬儀に出席のため滋賀県に向かいました。かつて教団の議長を10年にわたってつとめられた後宮俊夫牧師が亡くなられ、教団として感謝と哀悼の意を表するため、現三役を代表して参列することとなったのです。
 後宮俊夫牧師は、後宮敬爾牧師のお父様で、また榎本栄次牧師の義兄にあたります。葬儀では小西二巳夫牧師が「思い出」として敬和学園でのお働きについて語られました。会場では、K家さんの娘婿にあたるK崎さんに案内していただきました。悲しみの席ではありましたが、深く大切なつながりをあらためて覚えるときでした。

2018年12月16日 (日)

北部日記 12月16日

今月、日本聖書協会から、『聖書』の新しい日本語訳「聖書協会共同訳」が出版されました。「新共同訳」の次の訳にあたります。
 聖書は、およそ30年ごとに新しい翻訳が出されてきました。1887年に旧新約聖書が出版され(明治元訳)、1917年に新約聖書だけが改訂されました(大正改訳)。通常「文語訳」と言われるのがこれです。戦争をはさんで1955年に「口語訳」が出されて普及しましたが、1987年に「新共同訳」が出版され、現在ひろく用いられています。なお、日本聖書協会とは別に日本聖書刊行会から「新改訳」(1973年)」が出されていますが、これも昨年あたらしく「新改訳2017」が出されました。
 さて、手元に届いた「聖書協会共同訳」をぱらぱら見てみました。「新共同訳」が出たときは、それまでの「口語訳」とはがらっと変わった印象だったのですが、今回はそれほど大きく変わった印象はありません。それでも細かい文言は、最新の研究成果に基づいたり、30年間の日本語の変化に対応したりして、いろいろと変わっているようです。
 「脚注」が充実しているのも特徴です。関連する聖句だけでなく、「別訳」「直訳」「異本」「原語」などが示され、ひとつの翻訳におさまらない聖書のことばの深みや広がりが示されています。
 教会で用いる聖書を今すぐ変えるわけではありません。でも、折に触れ、「新しい翻訳では、こう訳しています」と紹介することになるでしょう。
昔から、聖書は幼子キリストを寝かせた飼葉桶にもなぞらえられてきました。大切なのは聖書じたいではなく、そのことばの中に宿っておられるキリストです。幼子を探して、飼葉桶をたずねましょう。

2018年12月 9日 (日)

北部日記 12月9日

 今日の礼拝説教は、大倉一郎牧師です。これまで何度も礼拝に出席いただいたことがありますが、礼拝説教をお願いするのは初めてでしょうか。ご奉仕を感謝いたします。
 大倉先生のお名前は、もうずいぶん前から耳にしていました。直接の面識はありませんでしたが、川崎戸手伝道所や溝の口教会の牧師として、また農村伝道神学校やフェリス女学院大学の教師として、とくに社会の周縁に追いやられた人々の立場に共に立ってキリストの福音を考えるきっぱりとした姿勢について、いろいろな機会に教えられてきました。
この札幌北部教会に赴任した後、大倉先生のお母様がこの教会で晩年をすごされたことをうかがって驚きました。9月の召天者記念礼拝に出席された大倉先生と初めてお目にかかった時は、著名な大先輩の前で、緊張を覚えずにはいられませんでした。
 しばらく前から、ご家族の介護のために札幌に戻っておいででしたが、この秋、北海教区の教職講座に参加して、そのプログラムの中で、「自分史」を語ってくださいました。学校の教師から聖公会の牧師となり、さらに日本キリスト教団に移るに至った、困難と苦悩の経験の数々は、今の穏やかな笑顔とは容易には結びつかないほど厳しく重いものでした。
 これまで長く道外で働いておられましたので、北海教区の状況にくわしいわけではありません。それだけに、北海教区の諸教会の歩みや宣教の取り組みについて、新鮮な視点で受けとめ、よろこんでくださっています。これからも北部教会のみならず、北海教区にかかわって、助け支えていただければと心強く思っています。

2018年12月 2日 (日)

北部日記 12月2日

 9月6日、未明の地震のあと、停電の一日を不安と不便のなかで過ごしました。夕方になっても電気は通じず、やがて日が沈みました。あの暗い夜を、どんなふうに迎えていたことでしょうか。
 夕食時、わが家では、冷蔵庫の中から、できるだけ調理しないでいいもの、早くいたみそうなものを出してきてテーブルにならべました。懐中電灯の電池には限りがありますが、商売がら(?)キャンドルならたくさんあります。キャンドルをともすと、オードブル程度の食事でもなんだかおしゃれな雰囲気に(ボトルに半分残っていたワインもついで)。まっくらな夜にも、心もおなかもほっとすることができました。
 食事が終わってもすることがないので、ふと外に出てみると、空はよく晴れていて、あかりがすっかり消えた街の上に、満天の星。ふだんは見えない天の川までが見えました。地上の暗さとひきかえに、星の光がなんとも心強く、美しく輝いてみえました。
 あれからもう3か月、クリスマスも近づいています。ふと、キャンドルといい、夜空の星といい、クリスマスの定番であったことを思い出しました。主イエス・キリストの到来は光にたとえられ、光の象徴としてキャンドルや星が用いられます。暗く不安な夜の暗闇のなかで、わずかな光がどんなに心強く、平安と希望を与えてくれるものか、たしかに実感したのでした。
 ところで、あの夜、ご近所のあちこちの庭先でジンギスカンをしているのを見かけました。さすが北海道民、電気がなくても冷蔵庫の肉がいたむ前にどんどん炭火で焼いて食べてしまえ、というたくましさ。「ほふられた子羊」に導かれ・・・!?

2018年11月25日 (日)

北部日記 11月25日

 このところ、なにかにつけて「平成最後の」ととなえられます。来年には天皇の退位と新天皇の即位が予定されています。日本の社会も、そしてわたしたち教会も、30年ぶりの「天皇の代替わり」に直面することになります。
 『キリスト者への問い あなたは天皇をだれと言うか』(松谷好明著)という本を読みました。牧師である著者は、天皇の本質は宮中祭祀、つまり神道に基づく儀式を日々行う祭司であることを指摘して、天皇制がキリスト教信仰とあいいれないものであることを強調しています。それなのに日本のキリスト教会がそのことをはっきり認識してこなかった歴史をもきびしくふりかえっています。
  先週23日、靖国神社問題北海道キリスト教連絡会議の集会で、佐藤幹雄牧師が「天皇代替わりと『国民主権』」と題して講演を行い、天皇をめぐる現状が憲法に定められた「国民主権」の原則を侵していると指摘しました。国家は国民のもの、という憲法の規定にもかかわらず、代替わりの一連の儀式を通して日本は天皇の国であるように演出されることが危惧されます。
 また会議では具体的な課題として、「新天皇の即位と改元が予定される5月1日は臨時休日とされるが、キリスト教学校や幼稚園が対応に戸惑っている」ことが挙げられました。関連し、「天皇や元号についての考え方を示す」「元号を使わないことを徹底する」「天皇制の問題を教会にアピールする」といった提起がなされました。さらに、新たな提案として、「望ましい国の形をじっくりと考え、わたしたちの『新憲法案』の作成に取り組んでみてはどうか」という意見もありました。時代の波に流されず神の真理に拠って立つべきだいじな局面にさしかかっていることを示された思いです。

2018年11月18日 (日)

北部日記 11月18日

◆現会堂が完成して、来月で10年となります。建築に際し、せいいっぱいの献金がささげられましたが、なお不足する資金については教会債をお願いし、また北海教区開拓伝道資金から1000万円を借り入れました。これらは10年かけて返済する計画でした。
 今月、教区からの借入金の全額を計画通り返済し終えました。返済のために10年の長きにわたって会堂献金を献げてきた方々、また誠実に資金管理につとめてくださった方々に心から感謝し、主のねぎらいをお祈りいたします。
 けれども、教会債の返済はまだ完了していません。予定外だった教会墓地資金からの借入金も返済しなければなりません。いっぽう、会堂をこれからも長く使っていくためには、メンテナンスが必要です。駐車場敷地を購入する願いもあります。なお覚えて会堂献金をお献げください。
◆先月、太平こどもの家の40周年をお祝いしました。思いきって榎本牧師ご夫妻をお招きする計画を立て、そのための献金をお願いしました。先週、運営委員会で会計の報告をまとめたのですが、予想をはるかに超えて献金・お祝金がささげられ、支出も抑えられて、無事にやりくりができました。多くの思いと協力がよせられたことに改めて感謝します。
◆このページの上部に週報の通しナンバーが記されています。教会創立時の第1号から40年以上たってすでに2200号を超えています。ところが、先月、ナンバーを打ち間違えてしまっていました。今号から修正していますが、週報のバックナンバーを保存している方は、申し訳ありませんが訂正をお願いします。

2018年11月11日 (日)

北部日記 11月11日

 このところ、礼拝へのこどもたちの出席が少なくなってきています。毎週の礼拝司会をつとめてくれるこどもも限られてきて、ときにはこどもの司会がいない日もあります。
 けれども、教会につながるこどもたちがいないわけではありません。太平こどもの家に通ってくるこどもたちや、その後も行事のおりに参加してくるこどもたちがいます。CSの夏期キャンプや、お泊り会、ジンギスカンといった行事には、スタッフの手が足りないくらいのこどもたちがやってきます。そうやって集まるこどもたち自身が、次の行事を楽しみにしている声も聞きます。それならば、毎週の礼拝にも来てほしいと思うのです。
 それは、ただ教会の人数を増やしたいというだけではありません。こどもたち自身にとって、教会と出会い、その交わりを楽しみ、キリストの恵みを味わうことが、きっとその人生の歩みを助け、守り、導くことになると思うのです。家庭でも学校でも塾でもなく、年齢も生活も職業も考えもさまざまな人たちがいっしょに集まりすごす場に自分もまた受け入れられる、という体験は、この時代を生きていくときの得難い支えとなるでしょう。
 それで、こどもたちに教会の礼拝と出会ってもらうため、「こども祝福礼拝」を設定しました。もちろん、こどもの祝福は毎週の礼拝で行っていますが、特別な日を設定して出席をよびかけることで、足を運ぶきっかけにしてもらおうと願っています。礼拝のプログラムそのものはいつもと変わりありませんが、こども祝福のときを充実させ、礼拝の前後にお楽しみを用意します。こどもたちだけでなく、家族も来てくだされば、なおうれしいことです。わたしたちの喜びである教会の交わりを、新しく分かちあえたらと願います。
  

2018年11月 4日 (日)

北部日記 11月4日

 1月14~15日に行われる教区年頭修養会は、札幌地区の地区の担当です。実行委員会を組織し、「共に生きる つどう・わけあう・かえられる」とテーマを定め、いよいよ準備もおおづめです。
 今回は、中心となる講演やステージがあるわけではありません。高校の文化祭や大学祭のように、諸教会のいとなみや教区の諸活動をもちよって紹介し、参加者はそれを次々に自分で選んで経験していきます。
 開会礼拝は、遠隔地からの到着をまって午後2時45分からとなりますが、その前からもう催しは始まります。「つどう広場」として、各教会のバザーが行われますが、それだけでなく、教会の資料を展示したり、ステージで活動を紹介したりして、教区のすべての教会を紹介する予定です。また、他教区や諸団体も紹介できるようよびかけています。 
 開会礼拝のあと、「わけあう実り」として、3つの部屋で、教区にかかわる活動の紹介・報告・体験が次々になされます。「テゼの礼拝体験」「札青協キャラバン報告」「災害と教会」「センターってどんなとこ」「沖縄の声」「アイヌの踊りにチャレンジ」など、ぜんぶで9つのプログラムを準備しています。部屋ごとに開催時間が少しずつずらしますので、部屋を渡り歩けばたくさんのプログラムをつまみぐいすることもできます。また、「こどもプログラム」「託児」も別に用意しています。
 二日目には、「かえられるとき」として、小グループに分かれ、一日目にそれぞれが体験したプログラムについて発見や感想をわかちあい、課題や希望を語り合います。すでに与えられている多くの恵みに促され、共に生きる道への一歩を踏み出すことになればと思うのです。
  

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