カテゴリー「説教要旨」の記事

2018年8月12日 (日)

8月5日「敵意の理由」平和聖日

そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。(使徒19章23~32節)

 今の時代、敵意に満ちたヘイトスピーチが横行し、さまざまな書物、インターネットなどでも悪意や反感のことばがあらわにされています。
 かつて、パウロもいたるところで敵意に直面しました。使徒言行録19章には、エフェソでの迫害のいきさつがくわしく描かれています。
 エフェソはアジア州の首都であり、また女神アルテミスをまつる神殿は「七不思議」のひとつとして有名でした。参拝記念のみやげ物として女神像や神殿の模型もよく売れていたようです。そのみやげ物業者のデメトリオがパウロへの敵意をあおります。それは利益と欲望にもとづくものでしたが、多くの人々が同調して怒り(28節)、わけもわからず騒ぐほどになりました(32節)。炎上する敵意と怒りの底には何があったでしょうか。
 エフェソの繁栄は、ローマに征服された屈辱と引き換えでした。またローマ帝国の発展によって社会が激変し、成功する人々がいるいっぽうで、取り残され、落ちこぼれ、見捨てられていく人々の不安や憤りもたまっていたのでしょう。「エフェソ人のアルテミスは偉い方」(28節)と言う叫びは、昨今の「日本はすばらしい国!」という声と重なって聞こえます。
 パウロはまた、ユダヤ人からの敵意にもさらされました。ユダヤ人もまた異民族に支配される苦しみから救われるために、必死で律法を守って神のゆるしを得ようとしていました。律法をないがしろにするキリスト者のふるまいは神の怒りを招き民族をさらに苦しめるとしてゆるせなかったのです。
 敵意や反感、差別をもって迫ってくる人々もまた、多くの苦しみ、悩み、重荷、不安、恐れを負っています。まずは敵意に抗して人々を守らなければなりません。しかし、そのうえでさらに、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44)との主イエスのことばを心に刻みましょう。

2018年7月21日 (土)

7月15日 「彼女たちの戦い」

わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。
                          (使徒16章11~15節)

 パウロたちは、ユダヤ人が安息日に集まる「祈りの場所」を探して川岸に赴きました。ふつう、「祈りの場所」としては会堂が建てられるのですが、フィリピの市中にはユダヤの会堂がなかったのでしょうか。
 ここでパウロたちはリディアという女性に出会います。男社会の中、女の身で商売をいとなむには、ひと一倍苦労してきたことでしょう。彼女は「神をうやまう」人でした。これは、ユダヤの神を信じ求める異邦人、「求道者」のことです。彼女は、異邦人でありながら聖書の神に出会い、求めるようになっていました。しかし、夫のない異邦人女性には、ユダヤの会堂にも居場所がなかったのかもしれません。彼女にとって、「ユダヤ人も異邦人もない、女も男もない」と、すべての人を救いへ招くキリストの福音がどんなにうれしかったことでしょう。彼女は自分の家を福音の拠点として提供します。ここに、フィリピで、ひいてはヨーロッパ大陸で最初の教会が形作られたのです。
 フィリピでパウロたちはもうひとりの女性に出会います。「占いの霊」にとりつかれていた女奴隷です(16~18節)。彼女は、「占いの霊」だけではなく、彼女を金儲けに利用する主人たちの欲望や、奴隷の重荷を負わせる社会のありかたにもまたしばりつけられていました。彼女のしつこいほどの叫びは、彼女自身の救いを求める叫びにも聞こえます。イエス・キリストの名によって「占いの霊」から解放されたあと、彼女もリディアの家の集まりにつながったでしょうか。
 後に、パウロはフィリピの教会に書き送った手紙のなかで、「あなたがたはわたしと同じ戦いを戦っている」と励まします(フィリピ1:27~30)。リディアたちの顔やできごとを思い浮かべながら記したことばに違いありません。今の社会に生きるたくさんのリディアたち、女奴隷たちをも、キリストは、励まし、導き、支えてくれるでしょう。

2018年7月 7日 (土)

7月1日 「福音の拠点」

アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
(使徒13章1~3節)

 
 キリスト教の歩みのなかで、使徒パウロは大きな役割を果たしました。異邦人伝道に携わって多くの教会を建て、また指導し続けただけでなく、その書き残した手紙は聖書として後世に決定的な影響を及ぼしました。使徒言行録13章以下に、そのパウロの活躍が記されていきます。
 しかし、パウロの働きはけっして彼ひとりのものではありませんでした。パウロは、アンティオキア教会から派遣されて旅に赴きました。しかも、少なくともバルナバというパートナーとのチームによる働きでした。旅の終わりにはアンティオキア教会に戻り、そこでその働きについて報告しました(14:26~27)。パウロの働きは、教会が送り出し、祈り、支え、報告を待ち、そして教会の仲間と共にたずさわった働きだったのです。教会こそが福音宣教の拠点でした。
 では、パウロを送り出したアンティオキア教会はどんな教会だったでしょう。国際的な大都市アンティオキアに教会ができたいきさつが使徒言行録11章に記されています。ここで初めてユダヤ人と異邦人が共に加わる教会が作られました。これまでになかったこの集団が、初めて「キリスト者」とよばれるようになったのです(11:26)。13章1節に挙げられたアンティオキア教会のリーダーたちは、立場も出自も経歴も多様な人々であったと考えられます。このような群れが「福音の拠点」とされたのです。
 かつて、札幌農学校で生徒たちに福音を教えたクラーク博士は、「ここにアンティオキア教会を作る」と語ったそうです。全国から集まった若者たちによる新しい群れが福音の拠点として用いられ、やがては各地に福音を伝えていく働きを期待したことでしょう。わたしたちの教会もまた、「福音の拠点」とされていくことを願い望みましょう。

2018年6月30日 (土)

6月24日「へびだってこわくない」野外礼拝

パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った。「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」ところが、パウロはその生き物を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。体がはれ上がるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。しかし、いつまでたっても何も起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神様だ」と言った。
      (使徒28章3~6節)

 これからアウトドアが楽しみなシーズンですが、野外にはクマやハチ、マダニなど危険な生き物もいます。ヘビも気持ち悪がられますが、北海道には毒ヘビはほとんどいません。もちろん、世界には危険なヘビもいます。
 使徒パウロがヘビに襲われました。パウロは、逮捕されて護送される途中、船が嵐に漂流して見知らぬ島にたどりついたとき、ヘビに襲われたのです。きっとめったにないことだったのでしょう、まわりの人々は、「この囚人はよほど悪いやつだから神が罰するのだ」と恐れます。ところが何事も起こらないと、「この人は神だ」と見かたを変えたのです。
 クマやヘビなどの危険に絶対あわないためには、外に出ないのがいちばんです。でもそれでは神さまが創られたゆたかなすばらしい世界と出会うこともできません。また、自分では出かけたいと思っていなくても、行かねばならなくなることもあります。キリストは、パウロに初めてあったときから、パウロがあちこちに出かけるようにさせ、行く先々でパウロは何度も危ない目にあってきました。神さまは、わたしたちが何の危険にもあわないようにではなく、危険があってもだいじょうぶなようにしてくださるのです。
 パウロが建てた教会もまたそうです。嵐のような困難にあい、難破して漂流するような思いをし、ヘビのようにおそろしいことにも襲われました。まわりから「あいつらは悪い奴だから滅ぼされる」と見られることもありましたが、それでも倒れることも滅びることもなく、ついには「あの人たちには神さまがいる」と言われるようになったのです。
 神さまは、わたしたちを何の危険にも会わない部屋の中に閉じ込めておくのではなく、世界へと遣わしていきます。でも、だいじょうぶ、へびだってこわくありません。神さまがいるのです。
  

2018年6月23日 (土)

6月17日 「神は分け隔てしない」

翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。
(使徒10章9~16節)

 旧約聖書の律法には、食べて良い物と、食べてはいけない汚れた物が厳しく定められています。敬虔なユダヤ教徒は今日でもそれを守っています。
 しかし、キリスト教では食べ物を制約することはありません。「神が清めたものを清くないといってはならない」とペトロに幻で示されたのです。しかし、この幻は、ただ食べ物のことだけを示しているのではありません。
 当時のユダヤ人にとって、異邦人もまた避けるべきものでした。律法を知らず、割礼を受けることなく、「汚れた」食べ物を平気で食べてきた連中とはいっしょにはなれないと考えていました。しかし、神は、その隔てを取り除くことをこの幻で示されたのです。幻を見た後、ローマ人コルネリウスのもとを訪れたペトロは、「神は人を分け隔てなさらない(10:34)」「イエス・キリストはすべての人の主(10:36)」と確信してコルネリウスたちに洗礼を授けました。教会は、こうして世界の人々の救いの福音を掲げるものとなっていったのでした。
ところが、そのことでペトロは非難されます。異邦人が教会に加えられ、交わりをむすぶことを拒む声があがったのです(11:1~3)。「神は人を分け隔てしない」ことの意味を、最初の教会は、すぐに充分うけとめることができませんでした。
 それは、このころの教会に限ったことでしょうか。いま、私たちは、神は人を分け隔てしないことをじゅうぶん受けとめているでしょうか。
 教会に、あるアンケートの依頼がきました。性的少数者のキリスト者が安心して通える教会かどうかのアンケートです。性的少数者に対して、これまで教会はひときわ厳しい目をむけ、受け入れてきませんでした。今、教会は、ほんとうに「キリストはすべての人の主」と信じ、「神は分け隔てしない」とたしかに示すことができるでしょうか。 

2018年6月 9日 (土)

6月3日「キリストの名によって」創立記念日礼拝

 次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。
 「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
 議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。                (使徒4章5~14節)

 名前には力があります。それを「権威」と言います。
 逮捕されたペトロとヨハネは、なんの権威、だれの名によって、歩けなかった人を癒したのかと尋問されました。考えられないようなことが起きたのは、いったい何の力によるのか、追求されたのです。
 ペトロは、「あなたがたはナザレの人イエスを殺したが、神は彼を復活させた。ことを成し遂げたのはこのイエス・キリストだ」と堂々と主張します。つい先日のイエスの逮捕の際には逃げ隠れしていたペトロのこの姿勢に、指導者たちは驚きます。そして「彼らはイエスと一緒にいた」と気付きました。ガリラヤからエルサレムへ、そしてもしかしたら、癒しが行われたときも、イエスと一緒だったのではなかったか、と。
 教会は、そういうところです。ただの人であっても、聖霊が注がれ、イエスと一緒にいて、イエス・キリストの名、その力がことを成していくのです。
 今日は北部教会の創立記念日です。1976年の伝道所開設から10年で土地取得・会堂建築をはたし、50名の教会へと驚くような成長をとげました。しかし、10周年の記念誌には、この間の牧師・信徒の不安や迷いが率直に記されています。それと共に、主が祈りにこたえてことを成し遂げてくださると確信できた幸いも証されています。キリストの名によってことが成し遂げられていったことを、この教会の歩みが証しているのです。
 ところで、キリストの名によるわざを証したのは、ペトロとヨハネだけではありませんでした。足を癒された人は、自分では何もしたわけではありません。しかし、思いもよらずに癒され、それを喜び感謝し、二人についていっていたのです。その存在自体が証として用いられました(14節)。わたしたちも、いただいた恵みをせいいっぱいに喜び賛美しつつ歩みましょう。

2018年6月 2日 (土)

5月27日 「転機」

さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。  (使徒9章1~9節)

 サウロ、後のパウロは、キリストに出会うまでは、伝統的な信仰を守ることに熱心でした(ガラテヤ1:13~14)。神の民としての出自を誇り、ファリサイ派の一員として律法を守ることにつとめていたのです(フィリピ3:5~6)。 
  ところが、キリストと出会ったことによって人生がまったく変えられてしまいます。教会を迫害していたのにキリストを宣べ伝える者となり、律法を守ることにつとめていたのに「律法ではなく信仰による救い」を主張し、異邦人からみずからを隔てるファリサイ派であったのに異邦人の使徒とされたのです。
 このように人生が180度変えられることは、それまでの人生が否定されることです。これまで正しいと信じてすべてを献げ、そのためには人を傷つけ損なうことさえいとわなかったことが間違いであったのです。人生の土台が崩れるような衝撃に、どれほど苦悩したでしょうか。「三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった(9節)」とは、何もかも見失った絶望の中、生きる意欲さえ失ったことを示しているでしょう。
 かつて日本の敗戦と共に、多くの人々がそのような苦悩を味わいました。作家の三浦綾子さんも、「日本は神の国」と信じ、教えてきたことが間違いであったことに絶望し、生きる意欲も失ったといいます。
 しかし、サウロの苦悩の「三日間」は、キリストの死から復活への道のりをも示しています。彼が見えなくなったのは、けっして暗闇に落ち込んだからではなく、「天からの光(3節)」に囲まれたからでした。サウロの苦悩の三日間は、神からの光によって新しい命を生きるようになるまでの過程でした。
 人生の転機に臨み、苦悩に沈むときがあります。しかしそれは神の光に照らされた時なのかもしれません。やがて周囲の人々の助け、教会の交わりが与えられ、新しい命に導かれるのです。

2018年5月26日 (土)

5月20日 ペンテコステ 「故郷の言葉」

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」  (使徒言行録2章1~8節)

 自分が生まれ育った故郷の独特の言葉には、懐かしさ、親しさ、あたたかさを覚えます。しかし、故郷の言葉が痛みや悲しみをもたらすことがあります。先住民や植民地の民族の先祖伝来の言葉が奪われ、抑圧・差別をこうむってきた歴史があります。本来、人と人との間をつなぐはずのことばが、人を隔てしりぞけるしるしとなり、癒しがたい痛みをもたらすのです。
 新約聖書の時代のユダヤでも、ことばの問題は複雑でした。旧約聖書はヘブライ語で記されていますが、ユダヤ人の日常生活ではアラム語が使われていました。諸民族がいりまじる都市では共通語としてギリシア語、また支配者ローマのラテン語も用いられていました。都エルサレムには、他国に移住したユダヤ人の子孫で祖国に帰ってきた人たちも多くいましたが、彼らは生まれ育った現地の言葉やギリシア語を用いていて、地元のアラム語には不慣れの人も多かったでしょう。田舎のガリラヤから来ていた主イエスの弟子たちにとって、彼らは遠く隔たった存在でした。
 しかし、五旬祭(ペンテコステ)の日に、弟子たちに「舌」つまり「言葉」が与えられ、語りだしました。それは、エルサレムに来ていた人たちにとって、なつかしい「故郷の言葉(8節)」でした。これによって、ことばで隔てられていた人々が、ことばと心を通わせたのです。それが聖霊の働きでした。
 神の力、聖霊は、隔てられていた人々を新しい関係、交わりで結びます。そうやって教会という共同体が生まれ、さらに新たな人をそこに結び合わせていくようになります。
 しかし、聖霊の力は、教会だけに限定されているのではありません。教会から地域へ、そして隔てられた悲しみや痛み、対立を抱えた世界で聖霊が働き、人と人が新しい関係、交わりに生きることになるよう祈り求めましょう。

2018年5月12日 (土)

「ステファノの死」 5月6日

ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。
サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。 (使徒7章55節~8章3節)

 教会の歴史上最初の殉教者とされるステファノは、教会の責任を担うように選ばれた信仰と聖霊に満ちた人でした。さらに、すばらしいしるしを行い、批判を論破する知恵と力も備えていました(6:5、8,10)。教会の信頼を集め、これからを担う指導者として期待された希望の星だったでしょう。
 ところが、教会に敵対する人々はステファノを捕え、「神殿と律法を冒涜した」として、ついにステファノを殺してしまったのです。
 ステファノの死は、教会にとって大きな衝撃であり打撃でした。キリストへの信仰が命の危険をもたらすものとなっただけでなく、期待されたリーダーを失い、教会もちりぢりとなりました(8:1)。これまで発展をとげてきた教会は、はじめて大きな挫折を味わったのです。
 ステファノはもちろん神にそむいたわけではありません。聖書は、ステファノが神の栄光を見ていたことを記しています。ステファノは間違ってはいませんでした。しかし、神はステファノを守ってはくれなかったのです。
正しく信じ、神を見ていたのに、信仰者が脅かされ、教会が挫折する時があります。教会はくりかえしそういう恐怖と挫折に直面してきました。しかし、神はすぐにそれを助けてはくれないのです。
ステファノが死に、教会がちりぢりになっても、教会は滅びませんでした。それによってかえって福音が広められ(8:4)、そしてステファノの死に立会った若者サウロが、後に使徒パウロとしてキリストの福音を伝えるようになります。主は、そのようにご自身のみわざを成し遂げるのです。
 死に臨んだステファノは、主に自分自身をゆだね、また目の前の人々を愛してゆるしを願いました(7:59~60)。私たちも、教会の困難の中でも、神を信頼し人を愛する信仰をまっとうできることをこそ、祈り願いましょう。

2018年4月28日 (土)

「主の山に登ろう」 4月22日

アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。
終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、
どの峰よりも高くそびえる。
国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。
                        (イザヤ書2章1~5節)

 昨年度、教会の主題を「共に生きるために」と掲げました。その前の年の主題「40年のその先へ、共に」をひきつぎ、「他の諸教会と連帯して共に歩む」「この社会で弱くされた人々と共に課題を担う」といった意味をこめて定められた主題です。
 けれども、近年の教会を振り返ると、急激に礼拝出席者数が減っています。年齢を重ねると共に、健康の衰えや生活の変化によって集うことが困難になってきた方が増えているのです。教会に集えない寂しさやつらさ、不安や孤独がつのるにつれ、教会そのものが、主の共同体として共に生きることがますます大きな課題となってきているのです。
 教会という共同体の中心になるのは礼拝です。礼拝について、聖書はもちろん多くを教えています。
 イザヤ書2章には、礼拝についての美しく力強い幻が語られています。いつの日か、世界中の民が主の礼拝に集い、もはや人々の隔てや対立は無くなるという主の平和の道がもたらされるのです。
 イザヤがこのことばを語ったのは、エルサレムを都とするユダ王国がアッシリアに圧迫され、滅亡の危機に直面した時代でした。弱く小さくされ、困難や不安を抱えている神の民に、それでもやがてこの主の山に諸国の民が隔てなく集まり、神の示す平和の道を歩むようになるという希望が示されたのです。その神のことばは、決してむなしくは終わりません。
 今、私たちも、この希望のことばを心にとめましょう。私たちが弱く小さくされ、孤独や不安に迫られているとしても、みんなが主の山、礼拝の場を望み見て、共に集い、主の示される平和の道を共に歩むものとされるのです。この希望に導かれて歩みましょう。

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