カテゴリー「説教要旨」の記事

2017年5月20日 (土)

5月14日 「祈るつとめ」

 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。 (テモテ一 2:1~8)
 この手紙の2章8節以下には男女の役割について偏見ともいえる見方が記されています。それはこの手紙の成り立ちにもかかわっているようです。
 主イエスの周り、あるいはごく初期の教会では、多くの女性たちがだいじな役割を担って活躍していました。それは当時の社会にあってはショッキングなほど新しいことでした。しかし、時代が下るにつれ、その衝撃が薄れ当時の一般的な男女観が影響を及ぼすようになってきます。「牧会書簡」はそのような時代に記されたと考えられます。ですから、これらの見方を今の時代の教会にそのままあてはめることはできないでしょう。聖書のことばは、文字通り受けとめるより真意を尋ねもとめなければなりません。
 それにしても、なぜ「男は・・・祈ること」(8節)とされているのでしょう。女は祈らなくてもいいのでしょうか。
 2章1節以下には、人々のために祈り、とりなすよう勧められています。他者のために祈るのは、祭司のつとめであり、祭司は男とされていました。つまり、8節で言われているのは、教会には、またそのすべての信徒には、祭司として他者のために祈るつとめがある、ということでしょう。
 わたしたちの教会でも、礼拝や祈祷会などで祈る機会には、他の教会、地域の人々、この世界のために祈ることをこころがけています。プロテスタント教会は「万人祭司」といって、教会のすべての信徒に、他者のためにとりなし祈る祭司のつとめがあると理解してきました。
他者のために祈る、とは、つまり、他者に関心をよせるということです。他の人々に心をよせ、その課題を覚え、祈ることは、隣人への開かれた心とかかわりを導きます。他者を覚えて祈ることによって、わたしたちは共に生きるものとされるのです。

2017年5月13日 (土)

5月7日 「忍耐を示されて」

わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。  (テモテ一 1章12~17節)
 これから「牧会書簡」を学びます。使徒パウロが、弟子また同労者であるテモテやテトスに宛てて記したとされる三通の手紙です。内容的には、教会に仕える働きについて、パウロからのアドバイスや注意を書いたものですが、広く教会のあり方、あるいは教会の働きについて学ぶことができるでしょう。多くの学者は、パウロ自身が書いたのではないと考えていますが、何らかの意味でパウロの体験と考えを踏まえて書かれたものと受け止めて読んでいきたいと思います。
 テモテは、パウロに見出され、信頼されてだいじな働きに携わっていました。どちらかというと優しく穏やかな性格だったらしく、そのせいか周囲から軽んじられることをパウロは心配しています(コリント一 16:11)。若くおとなしいテモテは動揺し、自信を失いかけていたのかもしれません。 
 今日の箇所には、パウロの回心の体験が語られています。かつては教会を迫害していた「罪人の中で最たる者」のパウロが、憐れみを受け主のための務めにつけられました。それは、キリストが忍耐を示された「手本(むしろ「見本」という意味)」だというのです。そうして「雄々しく戦いなさい」(18節)とテモテへの励ましが記されます。
 私自身も、初めて教会のつとめについたとき、戸惑い、悩んだことがあります。しかし、自分の弱さや至らなさを差し出し、にもかかわらず忍耐を示してくださる主の憐れみを示すことが大切だと思い至りました。しかしそのとき、実は教会がすでにそのような忍耐を示していてくれていることに気付かされたのでした。
 わたしたちは、「罪人の最たる者」ですが、それでも共に生きるためにキリストが忍耐を示してくださっている「見本」なのです。

2017年4月29日 (土)

4月23日 「共に生きるために」

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(コリント一 12章26節)
 今日は教会総会です。昨年は教会の年度主題を「40年のその先へ、共に」と掲げました。教会創立40周年を感謝し、この時代の、特に弱い立場の人々と共に、また諸教会と共に歩むことを志しました。新年度もその歩みをさらに進める思いで、「共に生きるために」と掲げたいと思います。
 「共に生きる」「共に生きるために」ということばは、今ではあたりまえに聞かれますが、こういう言い方がなされるようになったのは、そう古いことではないようです。1973年、栃木県にアジア学院が設立されたとき、創立者の高見敏弘牧師が「共に生きるために」との理念を掲げました。その少し前、1962年からネパールで医療支援に携わった岩村昇医師が、高齢の患者を三日三晩背負って病院に運んでくれた貧しい青年が、「みんなでいっしょに生きるために(したことだ) サンガイ・ジウナコ・ラギ」といってお金を受け取らず帰っていったエピソードを紹介しています。ネパールの貧しい無名の青年の「共に生きるために」ということばが、日本に伝えられ広まっていったのです。岩村医師はまた、「生きるとは、弱い者と分かち合うことだ」とも記しています。
 コリント一12:26の句は「共に生きる」ことをあらわしています。よく似た句がローマ12:15にもあります。後者では命令形で記されていますが、前者は普通の文で、今すでに共に生きるものとされている姿を示しています。また、両者とも前段に体のたとえがあるのですが、コリント一では、弱い部分への神のはからいが強調されています。弱い者があるゆえに、体全体が「共に生きる」ものとされている、というのです。
 新年度、わたしたちが、共に生きるために造られ、導かれていることを信じ、その主のみこころに従って歩んでいきましょう。

2017年4月23日 (日)

4月16日 イースター 「ペトロに告げよ」

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコ16章1~8節)

 主イエスは十字架で殺されました。その遺体をアリマタヤのヨセフがひきとって、あわただしく墓に収めました。その一部始終を、女たちが見届けました。しかし、男の弟子たちはどこにいたのでしょうか。
  マルコ福音書は、弟子たちに厳しい描き方をしています。弟子たちの情けなさ、愚かさ、ふがいなさがあちこちに目立ちます。対照的に、弟子以外の思いがけない人々が主イエスを信じ仕える場面も描かれます。主イエスの受難の場面では、この対比がいっそうきわだちます。主イエスがその死と復活を予告したのに対し、弟子たちは、死を覚悟しても主に従うと勇ましいことを言いはりました(14:27~)。しかし、その直後、主イエスが捕えられると、弟子たちは皆、主を見捨てて逃げてしまったのです(14:50)。
   週の初めの日の朝、むなしい気持ちで墓場に行った女たちに、主の復活が告げられました。「あの方はガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」とのメッセージです。すべてが始まったガリラヤに再び戻って新しく始まるのです。ご自分を見捨てた弟子たちを、主は見捨てずに会ってくださり、かねて言われたことばを主は裏切らず約束をはたされるのです。
  この、ゆるしと、再びの招きのことばは「弟子たちとペトロに告げなさい」と命ぜられました。これは「弟子たち、なかでもとりわけペトロに」という意味です。誰よりも主に親しみ、「死んでも主に従う」と言いはったのに、三度も主を知らないと言い逃れ、それゆえに誰よりも深く挫折し、重い罪を思い知ったペトロにこそ、ゆるしと招きは告げられなければならないのです。
  教会は、この挫折のペトロに告げられたゆるしのメッセージの上に成り立ってきました。主の復活の知らせを、今日、新しく聞きましょう。

2017年4月15日 (土)

4月9日 「十字架の屈辱」

 兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。(マルコ15章16~21節)  
 十字架は、ローマで行われた残虐な処刑の道具です。奴隷や支配下の異民族の反逆者に対する極刑として行われました。死の苦しみを長時間さらしものにし、死体はそのまま放置されました。主イエスは、このむごたらしく悲惨な十字架によって死なれたのです。
 しかし、聖書は、主の十字架の死に際し、肉体の苦痛よりもむしろ、主がこうむった侮辱と屈辱をくわしく記しています。死刑の判決を受けてからその死まで、主はなぶりものにされ、唾をかけられ、なぐりつけられ、からかわれ、はずかしめられました。十字架の苦難とは、人間として扱われないという屈辱でした。
 人が人として扱われない屈辱は、けっして過去のものではありません。戦争などの極限状況で、人が人として扱われないことはいつでも起こりえます。しかし、もっと深刻なのは、今日のわたしたちの周囲に、巧妙に、日常的に、徹底的に、そういう状況が広まっていることです。
 主イエスも、人間扱いされない屈辱の中で殺されていきました。十字架を仰ぐとき、それが屈辱のしるしであることを忘れてはならないのです。
 屈辱のしるしの十字架をかつぐ主イエスのかたわらに登場するのがキレネ人シモンです。たまたま主イエスに行き会ったばっかりに、十字架を担い屈辱を共に受けたシモンの姿に、後の教会は、みずからを重ねて理解するようになりました。
 教会は、屈辱のしるしである十字架を掲げます。主イエス・キリストの十字架の屈辱を、みずからのものとして担い、主と共に屈辱をうけるしるしです。人が人として扱われない屈辱を、わたしたちも共に負わされるものとなるでしょうか。

2017年4月 8日 (土)

4月2日「祈りと眠り」

一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」      (マルコ14章32~42節)
 死に直面するとき、その人の心のうちがあらわにされます。はたして自分はどのようにその時を迎えるでしょうか。落ち着いて穏やかにすごすことができるでしょうか。うろたえたり、苦悩したりする見苦しい姿をさらけだすでしょうか。
 聖書は、十字架のときを前にした主イエスが、恐れもだえた姿を伝えています。神の子とも思えない、とりみだした、見苦しい姿です。でも、もしかしたらそれこそが私の姿かもしれません。私の恐れ、不安、苦しみ、恥を、主イエスは共にしてくださるのです(ヘブライ4:12)。
 苦悩するとき、必要なのは、共にしてもらうことです。分ちあうことで、苦しみは解決しなくても解消するのです。
 恐れもだえた主イエスは、その苦悩を率直に神に訴えて祈りました。神ご自身に、苦悩を分ち担っていただく信頼と信仰とを示されたのです。それで問題は解決しませんでしたが、苦悩は解消され、ついに十字架への道に向かって心を定めたのでした。
 いっぽう、ここには弟子たちがいます。主イエスは苦しみを弟子たちにも分ち担ってほしかったのでしょう。しかし、彼らは眠り込んでしまって全くあてになりませんでした。この弟子たちの姿は、苦悩を抱えてそれを分かち合ってほしいと願う人がすぐ近くにいるのに、まったく気付きもせず目を閉ざしてしまっている私たち自身の姿です。
 しかし、主イエスは、このような愚かで弱い弟子たちに、「立て、行こう」と促します。祈りによって恐れをのりこえて十字架にむかうご自身の道に、なお従ってくるよう、弱い私たちをも促しているのです。きょう、この主の促しを聞きましょう。

2017年4月 1日 (土)

3月26日「できるかぎりのこと」

 イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(マルコ14章3~9節)
 主イエスの一行は、ベタニアのシモンの家に世話になっていました。「重い皮膚病」のシモンの家で食事に集まることは、世間の白い目を覚悟しなければなりません。ひそかな、しかし親しい集まりであったでしょう。
 そこに突然、見知らぬ女が入ってきて、主イエスの頭に香油を注ぎました。油を注ぐのはもてなしの習慣ではありますが、普通の油ではありません。輸入物の最高品質の香油で、器も貴重な品です。高価な品を一瞬に費やすぜいたくなもてなしでした。「セレブ」の婦人だったのでしょうか。 
 世間の目から隠れるようにシモンの家に集まっていた一同は、日頃、食事や宿にも事欠く生活でした。彼女のぜいたくなふるまいに思わず憤り、「貧しい人にほどこすべきだった」と非難をあびせます。まっとうな、正しい批判に違いありません。彼女は、自分のあさはかさ、考えの狭さを指摘され、泣きたい思いで立ちすくんだでしょう。
 しかし、主イエスはそんな彼女をかばったのです。「彼女はできるかぎりのことをした(8節)」は、直訳すれば「彼女は、もっているものを行った」となります。だれしも、じぶんの持ち合わせていることしかできません。それ以上に思い至ることのできない限界、あさはかさ、愚かさを抱えています。それでも、主イエスはそれをかばってくださったのです。
 やがて主イエスが十字架で死んだ後、従っていた女たちは、遺体に香料を塗ることも許されない悲しみの中、数日前のこのできごとを思い出したことでしょう。「あの女の人が、すでに香油を注いでいたのだ」と、心慰められ感謝したのではなかったでしょうか。あさはかでひとりよがりのふるまいが、意味ある大切なできごととされ、憤っていた人々が彼女のしたことを感謝して語り伝えていきました。主の十字架は、和解と感謝をもたらしたのです。

2017年3月18日 (土)

3月12日「終わりまで」東日本大震災記念礼拝

イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。 (マルコ13:3~8)
 6年前の大地震による津波、そして原子力発電所事故は、長くつらい苦しみの始まりでした。いわゆる「被災者」だけでなく、その何倍もの人々が、多かれ少なかれ、人生に影響を受けています。
 災害研究の専門家は、大きな災害の後の社会に起こることとして「社会の脆弱な面があらわにされ、攻撃される」「社会変動が加速する」「それまでの社会のあり方が問われる」と指摘しています。確かに、あの大震災の後、社会は大きく動いてきています。そのなかで社会の弱いところほど大きなダメージを受け、格差や過疎がいっそう進んでいます。この社会がどうなっていくのか、その中をどう生きるのか、問われています。
 マルコ13章で、主イエスは破壊や破滅の「しるし」「前兆」として、災害が起こり、社会の問題があらわにされていくことを告げました。それは「産みの苦しみの始まり」であり、そういう不安や怖れの厳しい時の中を、なお生きていかなければならないのです。
そういう時代を生きる姿勢として、「惑わされない(5節)」「慌てない(7節)」「自分のことを気をつける=自分を見つめる(9節)」ことが促されます。そして「最後まで耐え忍ぶものは救われる(13節)」と告げられます。「耐え忍ぶ」とは「とどまる」という語です。不安や苦しみの時代にも、惑わされず、慌てず、おちついて、日常生活の中で与えられた場面場面に誠実に向き合い、終わりまで逃げ出さず、投げ出さず、あきらめず、苦しみのときに向き合い続けるのです。
 主イエスはまた、「福音が宣べ伝えられねばならない(10節)」と断言します。困難な時の中、なお「神の国、神の支配は近い」との福音が証しされるのです。その福音を信じ、終わりまでの時を歩みましょう。

2017年3月11日 (土)

3月5日 「仕えるために」

そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」 (マルコ10章42~45節)

 あんなにも人に尽くし神を愛した方が、なぜ十字架でむざんにも殺されなければならなかったのか、弟子たちにとっては深刻な問いとなりました。そしてようやく、「人の子は多くの人の身代金として自分の命を献げるためにきた」とのことばに思い至ったのです。人のために尽くしたのにもかかわらず十字架で殺されてしまった、というのではなく、人に仕えて生きたそのきわみ、たどりつくところこそ十字架だったのです。
 そういう生き方は、この世の価値観とはまったく異なります。皆に仕え、すべての人の僕として生きることこそ、ほんとうに価値ある生き方であることを、十字架にいたる主イエスの生涯は示しているのです。
 しかし、そんな生き方が、わたしたちにできるでしょうか。とても無理だとしりごみしてしまいます。
 ここでの主イエスのことばには前段があります。主イエスが受難を予告したのに、弟子たちはそれをまったく理解せず、なかでもヤコブとヨハネの兄弟は、主イエスが栄光を受けるときにはそのかたわらにおいてほしいと願い出たのです。意味もわからず、主の苦難の杯をいっしょに飲むことができるといいきる二人でした。主イエスは、二人が確かに苦難にあずかること、そうするのは神が定めることであることを告げました。
 十字架をまったく理解していなかった二人は、この後それぞれに主の苦難の道に従う歩みをたどることになりました。神は、この二人のみならず、わたしたちをも主の苦しみにあずからせることがおできになるはずです。
もしかしたら、すでにそういう苦しみにあずかっているのかもしれません。まわりの人のために労苦を負い、苦悩することがあります。人に仕えた主の十字架のかたわらに、わたしたち自身を見出すかもしれません。

2017年3月 4日 (土)

2月26日 「信仰のない時代」

一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。」イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」  (マルコ9章14~24節)
 悪霊に取り付かれた子を、弟子たちは救うことができませんでした。「おできになるなら助けてください」と願う父親に、主イエスはきっとなって「『できれば』だと!」とむきなおり、「信じるものには何でもできる」と宣言します。父親はとっさに「信じます、信仰のない私をお助けください」と答えます。一連の緊迫したやりとりに、あきらめて信じなかった父親の心の根底に迫る主イエスの迫力が伝わってきます。それによって父親の姿勢がうち砕かれ、変えられます。そのとき霊は追い出されて子も父も救われたのです。
 それにしても、弟子たちにはなぜ、できなかったのでしょう。主イエスが高いところに行って不在の間、地上に取り残され、人々の期待に応えることができないでいる、非力で情けない弟子たちの姿に、教会の現実がかさなります。いま地上に残されている教会は、現実の世界の問題を解決するにはあまりに力乏しく、なすすべもないありさまです。「お弟子たちには、できませんでした」との批判の前に、うなだれるほかありません。
 しかし、主は、そのように求める人々のことを「なんと信仰のない時代なのか」と嘆くのです。世の人々は、問題の解決は求めても、信仰を求めようとはしません。関心があるのは「できるかどうか」「やってくれるかどうか」です。自分たち自身のありかたをかえりみ、問いなおそうとはしていません。
 あの父親もそういう信仰のない時代の一人でした。しかし、主イエスに迫られ、信じることを促されていったのです。
その後、主イエスは弟子たちに、祈ることを促します(28~29節)。何と祈ったらよいのでしょうか。「信仰のないこの時代に、それでも主よ、来てください」と祈るべきではないでしょうか。主イエス・キリストご自身との出会いこそが、信仰をもたらし、救いをもたらすのです。

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