カテゴリー「説教要旨」の記事

2018年10月15日 (月)

10月7日 「救いのために」 世界聖餐日

夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。(使徒27章33~38節)

 囚人パウロを護送する船は暴風に行く手をはばまれます。漂流して14日目の夜中、船員たちは、浅瀬にぶつかるのを避けるため錨を下ろして夜明けを待ちます。人々は、暗闇の中、命の不安と恐怖にさらされていました。
 ようやく空が白んで手元が見えるようになってきたころ、パウロが「なにか食べてください」とよびかけ、一同の見守る中、パンをとり、感謝の祈りをささげてそれを裂き、食べ始めたのです。
これは、聖餐の際のしぐさです。パウロは自分の信仰に基づいてパンを食したのでしょう。もちろん、見ている一同のほとんどは、それが何を意味するのか、知りません。危機の中にも関わらず、囚人パウロが、落ち着き払ってパンをとり、彼の神に祈り、食べるのを、不思議な思いで見ていたでしょう。食事ものどを通らない恐怖と疲労を抱えていた一同は、それを見てなぜかほっと元気づけられ、それぞれに食べ始め、危機を乗り切って皆が助かりました。
 パウロは、一同に、「生き延びるために必要だから」(34節)と言って食事を勧めました。これは「救いのために必要」「ここに救いがある」とも訳せます。危機の中、信仰者がおちついて聖餐に養われることが、船に乗り合わせた一同を導き促し、みんなの救いとなったのです。
 世界聖餐日は、世界中の諸教会が、分裂や対立をのりこえて共に主の食卓につき、平和と一致を信じ祈るように定められました。今日の世界は、あたかも嵐のなかの船のように、暴風にさらされ、ただよい、これからどうなるのか、不安と恐怖にさらされています。この分裂と対立を抱えた世界で、教会が真実に主のパンを分かち合い、平和と一致の姿を示すのならば、それは世界を促し導き、救いをもたらすのではないでしょうか。嵐の夜が明けることを信じ、いまこの時、この世界で、パンを食しましょう。 

2018年10月 6日 (土)

9月30日「私のように」

パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。
「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」
パウロは言った。「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
アグリッパはパウロに言った。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」
パウロは言った。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」       (使徒26章24~29節)

 パウロは、新任のローマ総督フェストゥスと、ユダヤの一部を支配していたアグリッパ王の前で、自分の信仰について語る機会を与えられました。
 主イエスと出会って、主の証人としての使命を与えられたことを語り、自分が証してきたのはメシアが苦難を受けて復活し、ユダヤ人にも異邦人にも救いをもたらすということであり、これこそ旧約聖書に書かれたことの実現だ、と締めくくります(22~23節)。
 パウロは、「すべての方が私のようになることを祈る」と言い切ります(29節)。伝道の強い思いが込められたことばです。私たちは、そのように強い思いをもって福音を宣べ伝えることでしょうか。
 この、「私のように」とは、具体的にはどういうことでしょう。
 なによりまず、「私のようにキリストに出会ってほしい」 という願いがあるでしょう。パウロがまったく思いもよらず主イエスに出会ったように、私たちも主イエスとの出会いをそれぞれに与えられてきました。そして、親しい人、大切な人、まわりの人々もまた、私のように、主イエス・キリストとの出会いが与えられるようにと祈るのです。
 そしてその出会いの中で、パウロは主の証人としての使命を与えられました。生涯の歩みを通して主イエス・キリストがどういう方であるかを示す使命は、私たちにも与えられています。
 主を証しするのは、私たち自身の生き方です。私たちも、パウロと同じように、神の約束の実現を希望として抱いています(6~7節)。キリストの十字架と復活によって、世界の民に光として告げられた救いを希望としているのです。希望をもって生きる私たちの生き方が、主を証しします。誰もが、この希望をもって生きるものとなるように、私たちも神に祈るのです。 

2018年9月29日 (土)

9月23日 「中途半端でも」

その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」(使徒23章11節)

 パウロをこころよく思わない人々は、彼が律法を無視して異邦人を神殿に連れ込んだと騒ぎたてます。ローマの治安維持部隊がパウロを救出しますが、パウロは許可を得て自分で人々に語り始めました。キリストへの回心のいきさつを語り、主から異邦人への福音宣教の使命を与えられたと述べたとき、また大騒ぎとなって話は中断させられます。ユダヤの人々は、神が異邦人に救いをもたらすなどありえない、パウロは偽りを言って神を冒涜している、と憤ったのです。
 ユダヤの言葉がわからないローマの部隊長は、くわしい事情をユダヤの最高法院に調べさせようと考えました。しかし、最高法院こそはパウロの敵対者たちの牙城です。まともな審問にもならず、けんか腰の低レベルなやりとりに終わってしまいました。
 パウロは、もっと語りたかったはずです。使命として与えられた異邦人伝道の働きがどれほどゆたかな実りをもたらしたかを示し、またその過程で数多くの手紙に記したようなキリスト教信仰の真理について論証したかったことでしょう。しかし、中途半端に、納得のいかないまま中断させられて、じゅうぶんに語ることができませんでした。
 しかしその夜、挫折と失意に沈むパウロのかたわらに主が立ち、「力強く証しした」と認めてくださいました。さらに、この先になお、やることがある、ローマでも証しをすることになっている、と示したのです。
中途半端で不本意なまま、挫折してしまうことがあります。しかし主は、そんな私たちのかたわらにたち、中途半端な働きをも認めて用いてくださり、さらになお使命を与えてくださいます。力及ばないことを恐れるのではなく、たとえ中途半端でも用いてくださる主を信頼しましょう。

2018年9月22日 (土)

9月16日 「配慮」

パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。」 (使徒21章19~24節)

 律法を守るユダヤ人にとって、異邦人は遠ざけるべき存在でした。ところがパウロは積極的に異邦人に伝道し、彼らをユダヤ人と同等に教会の仲間としてきました。しかも、救いは律法によるのではなくキリストへの信仰によると教えたのです。これまでの神の民の歴史はいったいなんだったというのでしょうか。ユダヤの都エルサレムの教会には、パウロの活動に納得いかないユダヤ人の信者も多かったのです。
 パウロは、エルサレム教会の長老たちに、自分のこれまでの伝道の働きについて報告しました。結論から言えば、長老たちは、それを神のみわざと認めて神を賛美したのでした(20節)。
 この時、長老たちはパウロにある提案をします。律法に基づく儀式にパウロも参加して律法を尊重していることをアピールすれば、パウロに疑念を抱いている教会内外のユダヤ人たちも納得するだろうというのです。教会の一致を守り、外部からの攻撃を避けるための配慮でした。パウロも承知してそのように行いました(26節)。
 ところが、儀式のために神殿に赴いたことがかえって誤解を招き、大騒ぎになります(27節以下)。結局、これによってパウロは拘束され、ついにはローマに護送され、そこで命を終えることになります。教会のための配慮が裏目に出てしまったのです。 
 しかしまた、これによって、パウロは思いがけない形でローマに導かれることになりました。それが神の計画であったのです。
 人間の配慮が裏目に出、思惑が破れることがあります。しかし、神の計画、御心、配慮は実現します。人の浅はかさを用いてでも、神のみわざはなしとげられるのです。

2018年9月 8日 (土)

9月2日「自分の道を終わりまで」 召天者記念礼拝

そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。
(使徒20章22~24節)

 召天者名簿に、大野一夫牧師のお名前が加えられました。病を抱えながら、最晩年、家庭集会で福音を語ることに熱意を注がれた姿が、24節のことばに重なります。
 この聖句は、使徒パウロの遺言ともいえるメッセージの一部です。長い間の伝道の働きに区切りをつけ、エルサレムを経てローマへ向かおうとしています。それは神に示された道でしたが、決して平穏な道ではありません。むしろ苦悩と困難が待ち受けている道です(22~23節)。聖霊に「促されて(22節)」とは、直訳では「束縛されて」という意味です。どんな苦難があったとしても、神が定めた道を行くほかないのです。
 「自分の決められた道を走りとおし(24節)」とは、「自分の走るコースを終わりまで行く」という意味です。与えられた道を、自分に与えられた行程としてまっとうしよう、というパウロの決意が示されています。「命すら惜しいと思いません」とは、直訳では「自分の命のことは言うに値しない」となります。生きるかどうかをあれこれ言うより、神様から与えられた道をとにかく行けるところまでいこう、ということでしょうか。
 パウロは、「福音を力強く証しする」人生をまっとうしました。しかし、読みようによっては、「自分の決められた道を走りとおす」ことがすなわち「神の恵みの福音を力強く証しする」ことだ、と受けとることもできます。
 きょう覚える信仰の先達も、それぞれに与えられた道を終わりまで、行けるところまで行きました。それが福音の証として用いられ、わたしたちに示されています。私たちもそれぞれに与えられた自分の道があります。何が待ち受けているかわかりませんが、その道を終わりまでいくことが、福音を証しするつとめをはたすこととなるのでしょう。

2018年8月26日 (日)

8月19日 「生命は彼の中に」

週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。(使徒20章7~12節)

 青年エウティコは、一日働いて疲れた体で、それでもパウロの話を聞く最後の機会と思って集会に来たのかもしれません。たくさんのともしびで部屋は暑く空気も悪くなったので、風に当たってすっきりしようと窓辺に腰かけたのでしょうか。それでも眠気に勝てず、落ちてしまったのです。大騒ぎになりましたが、息を吹き返し、一同はほっとしたのでした。
 このとき、パウロがエウティコの上にかがみこんだ(10節)のは、人工呼吸のような措置をしたのだと推測する人もいます。いっぽう、このパウロのふるまいは、列王記に記された、預言者エリヤやエリシャが死んだこどもをよみがえらせたときのふるまいを思わせます。使徒言行録の著者ルカは、パウロが偉大な預言者たちに匹敵する存在だと示しているようです。
 それだけではありません。この事件が起こったトロアスの町は、かつてパウロが失意と挫折のはてにたどりついた所でした。しかし、ここで幻を示され、実り多い新しい道へと導かれたのです(16:6以下)。今、パウロは、このトロアスに戻ってきて、そこからエルサレムへ、さらにローマへと向かおうとしています(19:21)。しかし、この後パウロはエルサレムで捕えられ、囚人として護送されることになります。計画は挫折し、パウロの命も危うくされます。それでも、それでおしまいとはなりませんでした。
 「まだ生きている」(10節)とは、直訳すると「生命が彼の中にある」という意味です。彼の命だけでなく、キリストの命が彼をなお生かすのです。エウティコだけでなく、パウロもまたそうやって生かされることになります。さらには、教会もまた、キリストの生命がその中にあるのです。困難や弾圧に衰退し挫折するように見えても、なお生かされるのです。
 息を吹き返したエウティコの姿に、私たちも大いに慰められます。

2018年8月12日 (日)

8月5日「敵意の理由」平和聖日

そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。(使徒19章23~32節)

 今の時代、敵意に満ちたヘイトスピーチが横行し、さまざまな書物、インターネットなどでも悪意や反感のことばがあらわにされています。
 かつて、パウロもいたるところで敵意に直面しました。使徒言行録19章には、エフェソでの迫害のいきさつがくわしく描かれています。
 エフェソはアジア州の首都であり、また女神アルテミスをまつる神殿は「七不思議」のひとつとして有名でした。参拝記念のみやげ物として女神像や神殿の模型もよく売れていたようです。そのみやげ物業者のデメトリオがパウロへの敵意をあおります。それは利益と欲望にもとづくものでしたが、多くの人々が同調して怒り(28節)、わけもわからず騒ぐほどになりました(32節)。炎上する敵意と怒りの底には何があったでしょうか。
 エフェソの繁栄は、ローマに征服された屈辱と引き換えでした。またローマ帝国の発展によって社会が激変し、成功する人々がいるいっぽうで、取り残され、落ちこぼれ、見捨てられていく人々の不安や憤りもたまっていたのでしょう。「エフェソ人のアルテミスは偉い方」(28節)と言う叫びは、昨今の「日本はすばらしい国!」という声と重なって聞こえます。
 パウロはまた、ユダヤ人からの敵意にもさらされました。ユダヤ人もまた異民族に支配される苦しみから救われるために、必死で律法を守って神のゆるしを得ようとしていました。律法をないがしろにするキリスト者のふるまいは神の怒りを招き民族をさらに苦しめるとしてゆるせなかったのです。
 敵意や反感、差別をもって迫ってくる人々もまた、多くの苦しみ、悩み、重荷、不安、恐れを負っています。まずは敵意に抗して人々を守らなければなりません。しかし、そのうえでさらに、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44)との主イエスのことばを心に刻みましょう。

2018年7月29日 (日)

7月22日  「共働者たち」

その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。 (使徒18章1~4節)

 使徒パウロは、テント作り職人でした。道具袋ひとつをかついで町から町へ移っていき、行く先々で仕事をして生活費・旅費を工面していました。
 コリントの町で、同じテント職人で、おそらく工房を構える親方のアキラと出会い、意気投合しました。ユダヤ人のキリスト者であったアキラと妻プリスキラの家は、コリントでの福音宣教の最初の拠点となりました。
 やがてコリントで教会が形作られ、パウロがコリントを離れるとき、アキラ夫妻も工房をたたんで同行する大きな決断をします。この決断は、もしかしたら妻プリスキラが促したのかもしれません。彼らはアジア州の大都会エフェソに定住することになります。
 24節以下には、エフェソで彼らがアポロという伝道者を教育し、コリントに送り出したことが記されます。その後、パウロも再びエフェソの彼らの家に滞在したようです。コリント一16:19には、彼らの家が教会の集会に提供されていたことが記されています。
 パウロはローマ16:3~6にも彼らのことを記しています。「キリスト・イエスに結ばれて・・・協力者(3節)」とあるのは、直訳すると「キリスト・イエスの中の共働者」という意味です。キリスト・イエスの中、つまりキリストの体である教会で共に働く同労者としているのです。
 プリスキラとアキラは使徒ではありませんが、教会を支え、伝道者を教育し、その働きを共に担う、だいじな「共働者」でした。じつは、パウロがその手紙の中で「共働者」とよんでいる人は数多くいます。そういう人々が教会を形作り、育て、教会の歩みを担ったのです。
 今も教会を担う多くの「共働者」たちがいます。人生を差し出してキリストの福音を担う共働者たちを、キリストは喜び、いたわってくださることでしょう。

2018年7月21日 (土)

7月15日 「彼女たちの戦い」

わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。
                          (使徒16章11~15節)

 パウロたちは、ユダヤ人が安息日に集まる「祈りの場所」を探して川岸に赴きました。ふつう、「祈りの場所」としては会堂が建てられるのですが、フィリピの市中にはユダヤの会堂がなかったのでしょうか。
 ここでパウロたちはリディアという女性に出会います。男社会の中、女の身で商売をいとなむには、ひと一倍苦労してきたことでしょう。彼女は「神をうやまう」人でした。これは、ユダヤの神を信じ求める異邦人、「求道者」のことです。彼女は、異邦人でありながら聖書の神に出会い、求めるようになっていました。しかし、夫のない異邦人女性には、ユダヤの会堂にも居場所がなかったのかもしれません。彼女にとって、「ユダヤ人も異邦人もない、女も男もない」と、すべての人を救いへ招くキリストの福音がどんなにうれしかったことでしょう。彼女は自分の家を福音の拠点として提供します。ここに、フィリピで、ひいてはヨーロッパ大陸で最初の教会が形作られたのです。
 フィリピでパウロたちはもうひとりの女性に出会います。「占いの霊」にとりつかれていた女奴隷です(16~18節)。彼女は、「占いの霊」だけではなく、彼女を金儲けに利用する主人たちの欲望や、奴隷の重荷を負わせる社会のありかたにもまたしばりつけられていました。彼女のしつこいほどの叫びは、彼女自身の救いを求める叫びにも聞こえます。イエス・キリストの名によって「占いの霊」から解放されたあと、彼女もリディアの家の集まりにつながったでしょうか。
 後に、パウロはフィリピの教会に書き送った手紙のなかで、「あなたがたはわたしと同じ戦いを戦っている」と励まします(フィリピ1:27~30)。リディアたちの顔やできごとを思い浮かべながら記したことばに違いありません。今の社会に生きるたくさんのリディアたち、女奴隷たちをも、キリストは、励まし、導き、支えてくれるでしょう。

2018年7月 7日 (土)

7月1日 「福音の拠点」

アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
(使徒13章1~3節)

 
 キリスト教の歩みのなかで、使徒パウロは大きな役割を果たしました。異邦人伝道に携わって多くの教会を建て、また指導し続けただけでなく、その書き残した手紙は聖書として後世に決定的な影響を及ぼしました。使徒言行録13章以下に、そのパウロの活躍が記されていきます。
 しかし、パウロの働きはけっして彼ひとりのものではありませんでした。パウロは、アンティオキア教会から派遣されて旅に赴きました。しかも、少なくともバルナバというパートナーとのチームによる働きでした。旅の終わりにはアンティオキア教会に戻り、そこでその働きについて報告しました(14:26~27)。パウロの働きは、教会が送り出し、祈り、支え、報告を待ち、そして教会の仲間と共にたずさわった働きだったのです。教会こそが福音宣教の拠点でした。
 では、パウロを送り出したアンティオキア教会はどんな教会だったでしょう。国際的な大都市アンティオキアに教会ができたいきさつが使徒言行録11章に記されています。ここで初めてユダヤ人と異邦人が共に加わる教会が作られました。これまでになかったこの集団が、初めて「キリスト者」とよばれるようになったのです(11:26)。13章1節に挙げられたアンティオキア教会のリーダーたちは、立場も出自も経歴も多様な人々であったと考えられます。このような群れが「福音の拠点」とされたのです。
 かつて、札幌農学校で生徒たちに福音を教えたクラーク博士は、「ここにアンティオキア教会を作る」と語ったそうです。全国から集まった若者たちによる新しい群れが福音の拠点として用いられ、やがては各地に福音を伝えていく働きを期待したことでしょう。わたしたちの教会もまた、「福音の拠点」とされていくことを願い望みましょう。

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